ありがたい感想レターをいただいたのですが高熱を出して寝込んでおりまして、気が向いたら公開しようと保存していた記事を御礼がわりに表に出します。
タイトルのとおりメモなのでいつにも増して読みづらいかと思いますが、ご容赦くださいませ。
哭倉村と龍賀一族に象徴される旧時代は負の太母に支配された負の太父の時代とみなすことも可能。これも河合隼雄の言に基づく。
太母が象徴するのは包含の機能。負の太母は相手を喰らうことで一体化を図る山姥にたとえられる。哭倉村入口のトンネルは産道の、村の山深さは負の太母の領域であることの、妖怪の血を吸う地下世界は胎児を喰らう山姥の胎内の象徴とも解せる。
太父が象徴するのは分断の機能。負の太父は相手を切り刻む。ゲゲ郎を余所者と拒絶し斧を振るおうとした点がわかりやすいか。
一族と妖怪とを喰い物にして成り立つ哭倉村と、部下を殴り部下を贄に生き延びようとした戦地の上官≒戦前社会は同義の存在。新時代を迎えるには彼らの打倒が不可欠。それによって水木も「大人の男」になりえる。
対抗策は、正の太母とそれに心服する太父たるゲゲゲの両親。母が浸っていた水は山姥の羊水だけでなく正の太母たるゲゲ母の領域であることの象徴とも解せる。火に喩えられる男性の暴力性を鎮めるのが水の女。その「支配下」にあるゲゲ郎は狂骨を倒すのでなく、彼らの恨み哀しみを受け止めようとした。ゲゲ郎の友である水木も、時貞自身でなく時貞の持つ怨念装置を壊して彼らを解放し、直接の暴力で打倒するのとは異なる「解決」を果たしたことで、時貞や上官、上司を超えた、「新時代の」存在となる。
斧を使ったのは哭倉村と龍賀に「ツケ」を払わせた象徴。あるいは、鬼女を討つに刀は有効だが、負の太母に立ち向かうのであればたしかに斧の方が相応しいか。斧は樹木を伐採するために生まれた刃物。太母の領域、あるいは太母そのものを侵す武器。地母神を殺して穀物を得るハイヌウェレ型神話と繋がっているのではないか。ゲ謎、神話じゃん。
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沙代について考えたい。彼女については太母の正負両面が描かれていたと思っていたが、ちょっと違うのではないか。
時麿以降死んだ一族が「貫かれていた」ことからすると、あの暴力は沙代自身の持つ太母としての資質ではない。そもそも時麿に犯されかけた時の沙代は目が完全に死んでおり抵抗も示せていなかったので、心が死んでいた状態と解せる。彼女の意思が介在できる余地はない。
恐らく彼女に憑いた狂骨が男性で、その力の表れとしての凶行とみなすべき。沙代は作中で言われた通りあくまで「依代」で、彼女の心が消えた隙に狂骨が力を振るったというのが真相ではないか。
体も心もめちゃめちゃに踏みにじられてなおしなやかに恋の花を咲かせられた彼女自身はやはり「綺麗」だったんだと思う。綺麗だからこそただ愛され守られることを望むのでなく、彼女なりに水木を愛そうとし、共に在ろうとすることができた。それはゲゲ母に連なる尊敬すべき正の太母の性質だろう。沙代さん普通に尊敬すべき強くてかっこいい女性。
彼女自身が真に怒りと暴力とを向けたのは水木だけなんじゃないか。それはすなわち愛でした。だからこそ狂骨は水木については沙代に膂力を与えるだけにとどまったのだろう。
彼女を「鬼」に貶めたのは長田と言える。狂骨を誕生せしめる体制に加担しておきながらそちらの罪を棚上げし、沙代を化け物と断じ刀で「貫く」とかお前大概にしろよという話でもある。 日 本 国 は 法 治 国 家 で す 。 治外法権を地で行く龍賀の本拠地でかつ状況が状況だっただけにわからんでもない。沙代のせいではなかったとは言え因果応報と言えばそれはそう。不幸の連鎖やめない? やめよう。
時貞をはじめ龍賀と「同罪」だった水木が時貞を拒絶し狂骨の怒りを解放してくれたのは、沙代にとっては何よりの手向けだったとみなして自身の心を慰めるしかない。個人的には水木は忘れてもずっと沙代のこと引きずって生きてほしいですね……記憶を超えた絆、未練がましい二次元の男、だいすきです。