9月下旬に高熱を出してから不調が続いていたが、正月早々また熱を出した。今回は38度台に一瞬なっただけですぐに解熱できたが、後遺症として僅かでも楽しいことをすると心身を持ち崩すようになった。
ならばと徹底的に陰気に過ごしてみた。日中の自然光は積極的に浴びるが、室内の電気は消して日が落ちたら生活できる範囲で暗いに任せる。仕事も基本的にソロのデスクワークであるのを良いことに、表情を消すどころか人様に向けられないレベルにまで暗くする。そして心もとにかく暗く、鬱々とさせ、横になることを最優先。そうしたら面白いくらい心身の調子が整った。
一般的な社会ではとにかく明るさや元気さを求められる。暗い顔をしていると心配してくれる人は優しいと思うが、それが必ずしも正解とは限らないと実感した。多くは「辛気臭い」「陰キャ」と嘲笑とともに疎まれ、ひどい時は「何が不満なんだ」と罵り殴られることもあるだろう。というか、かつてあった。
こういう陽気信者が1人でも周りにいたら、ちょっとやばかったかもしれない。それくらい、僅かでも明るく振る舞った後の反動が大きかったのだ。鬱やリスカや自殺も、陽気の押しつけで陥った人はいるのではないか。そんなことが頭によぎった。
ここ何年かは中医学の漢方医にお世話になっており、一応状況を報告してみたら返答はだいたいこうだった。
「冬眠みたいな」
「夜はむしろ暗くして、電気つける必要ないよ~。僕も夕方からは脱力してるもんw」
「別に笑顔にする必要もないよ。日本人は笑顔にしすぎ」
そんな気はしていたが、ごく自然はなまるオッケーって感じだった。うける。
信頼できるプロのお墨付きももらったことで今も部屋の灯りを消し「瞑想」という月明かりの画像に静かな音楽が流れるモードでこれを打っているが、やはりとにかく安心できる。無理がない。自分でいられる感じがして刻々と癒やされる感覚がある。陰気は、暗いのは良い。深くて穏やかで優しい世界だ。世の中はやはり明るすぎると思う。
中医学と言えば五行思想だが、冬の恐・驚には思・慮をぶつけると良いらしい。どうりで読書を再開した途端一気に調子が整ったわけだ。読書と思考は年中しているが、これ幸いと満喫することにする。『イリアス』面白いです。