ゲームのチュートリアルであり、この世界では生徒たちはどのような存在なのか、大人とはどういう存在なのか、そしてプレイヤーとしてのあなた(先生)はどのような人なのかをしっかりと盛り込んだよいシナリオだと思う。アヤネからのヘルプコールで先生はアビドスに向かうわけだが、まず最初に遭難する程度には下調べをせず、とりあえず生徒の呼びかけにすぐ応え、向かうだけの心意気とそれでいながら普通の人間の体力であることが示唆される。そして大人の先生としての介入(というべきか指導というべきかわからないが)が始まるわけだが、もし先生が関わらなければ緩やかにアビドスが終わっていく(我々は既にその緩やかな死に抗おうとして破滅していった彼女たちを最終編で知っている)ことが想像され、生徒たち(子供たち)の限界もそこで示されるし、大人としてそれを食い止める姿も見ることができる。特に黒服とのやり取りが秀逸で「そんなことしなくたってあなたは生きていける(という大人になった人間ならわかる、ある種の余裕というか安定、諦め)」という態度を決して取らないし、また同時に大人の(承認をしていないとのたまう)ずるさを同時に表現し、我々が先生として彼女たちに何をしてあげるべきなのかということを強く印象づけてくれる(このあたりの心映えは最終編のプレナパテスによって詳細に述懐されるが、それにちゃんと従っている)。そして囚われたホシノを助け出すシークエンスでは先生は戦力としては無力だが、ひとつの希望として彼女たちを導き、緩やかで悲しい終わりから救い出すことができるのだというカタルシスと確信を与えてくれるすごくよいシナリオと感じた。
ホシノについて少し語ろう。出会ったときのホシノにとって対策委員会はおそらく居場所ではなかったし、アビドスも過去のものになっていたと思う。先生が来るまでは。彼女の心はずっとアビドス生徒会に囚われていたといえるかもしれない。彼女にとって後輩たちは守るべき存在であって仲間ではなかった。だから絆エピソードでもどこか罪悪感を持っていたし、おじさん自称ももしかしたら根っこの自分を隠すためにやっていたのかもしれない。そういった心持ちだからこそ、彼女は黒服とカイザーとのやり取りに応じてしまう。後輩には過去にとらわれず、前に進んでほしいという気持ちだったのだろう。人は引け目を感じている時、正しい判断を行えないものである。しかし、彼女の心持ちに反して(というか心持ちに関わらず)、後輩たちは彼女を助けに来た。なぜなら後輩たちにとって彼女は先輩である以上に仲間だからである(いつか描かれるであろうユメ先輩の足跡を追うかつてのホシノがそうであったように)。彼女は第二章の最後に「ただいま。」というけれど、それは単純に彼女が仲間のもとに戻ってきただけではなく、アビドス生徒会を知るものとして、アビドスに戻ってきたという意味が込められていると感じた。彼女はその意味で(ユメ先輩が亡くなってから)ようやくアビドスに帰ってくることができたのである。
この選択が正しかったかどうかなどわからない。しかしながら、彼女は大人である先生がいることで安心して悩み、迷い、行動し、失敗することができる。後のVol.で何度も垣間見る「過ちの許されないわたしたち」の呪いから抜け出すことができたことは幸福のひとつに数えてもいいのではないのかなと思っている。
……しかしながら、Vol.5まで経た「奇跡を起こし続けてきた先生」の我々に再び立ちふさがるのはこの対策委員会編第三章である。それはすなわち、出会う前のホシノを救うことができなかったという現実を第三章で見なければならないからである。我々はホシノの過去に何も与えることができない。私が対策委員会編新章が発表されてから毎日憂鬱で辛いのはそのためなのだ。だが、未来は変えられる。変えなければならない。なぜなら我々はシャーレの先生だからだ。
対策委員会編第三章「夢が残した足跡」Part1、4月11日(木)メンテナンス後、公開。