大晦日、2023年を振り返る。

こばん
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こういうのは時系列で書くべきなのかな。

分からないので、とりあえず印象に残った出来事を順に追ってみよう。

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・2022年12月〜2023年1月

2023年は、再就職した大学病院の退職から始まった年だった。

病院に戻りたくないという意思を押し通せず、周りの意見に従って、就職した病院。

「自分の能力を発揮できるかどうかは、環境に左右される」と実感した職場だった。

「大学病院は研修医を育てる場所だから、看護師はあまり医療行為をしない」

という噂話は聞いていたけれど、現実はもっと酷いものだった。

看護師もある程度は医療行為をするのだけれど、中途採用は何もさせてもらえない部署だった。

これまで救急の、そしてコロナの最前線で働いていたから、ある程度は能力を評価した上で働けると思っていた。

しかし出鼻をくじかれた。

新卒と同じ扱いを受け、何もさせてもらえなかった。

そんな環境にいると「自分は何もできないダメなやつなんだな」と感じるようになった。

「ここで学べることもあるだろうから、1から頑張ろう」

「プライドなんてものは意味がないのだから新卒の気持ちで働こう」

と言い聞かせ、半年間は心を無にして働いた。

けれど、徐々に心は蝕まれ、

喘息、不正脈、不眠、蕁麻疹、胃痛、下痢、吐気

どんどんと身体症状が現れた。

内科受診をし対症療法をしながら働き続けたが

ある朝、「このままだと自分は壊れる」とふと思い、部署の所属長は相談しても頼りにならなかったため、看護部まで直接行き、

「今すぐ辞めます」と直訴した。

しかし、異動を調整するから辞めないで欲しいと頼まれたため、提案に乗って休職することにした。

初めて診療内科を受け、症状が出ていることを伝えたら、診断書を作成してくれて、思ったよりも楽々と休職できた。

「職場があなたに向いてないんだろうね、診断書作るから、何ヶ月くらい休みたい?」と気楽に話を聞いてくれる良い先生だった。

たぶん症状こそ出ていても、精神的には問題ないと判断してくれたのだろう。

都合の良いように対応してくれた。

ただ、あのまま元の職場にいたら、治療を受けることになっていたと思う。

そして、そのまま3ヶ月ほど休職した。

あの頃の自分を支えてくれたのは、Switchで一緒に遊んでくれる友達だった。

感謝してもしきれない。

そして、休職期間はひたすらゲームをして過ごすのだが、しばらくして違う仕事の誘いを受けることになった。

コロナ関連の事業で、前年の立ち上げ時に関わっていた事業だったので、再度助けて欲しいとお願いされた。

願ってもないチャンスだと思い、即決した。

大学病院側は戻ってきて欲しいとの思いで休職を提案したのだろう。

けれど、もう「戻りたくない」という自分の気持ちを無視してはいけないと思い、退職した。

そして、そのまま12月は業務委託で働くことになった。

ありがたいことに単発だが月100万を超える委託報酬とともに、様々な経験を積ませてもらえた。

40人規模のコールセンターの運営を任されたり、事業のリモート移行を中心で任されたり、広島への短期出張を経験し、大晦日の年越しギリギリまで働いた。

ここまで自分を評価してもらえ、能力を発揮できる環境に巡り会えたのは、運が良かったと思う。

あの時チャンスの神様の前髪を掴んでいなかったら、きっと今も

「自分は使えない、ダメなやつ」

と思ったまま過ごしていただろう。

この経験から、

自分の気持ちを無視し、偽ってはいけないこと

ギリギリまで我慢して働いてはいけないこと

能力を発揮できる自分に合った環境を探すこと

ということを学べた。

学びもあったし、病院によって環境は全く異なるということを知れたし、就職したこと自体は結果的に良かったと思う。

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・2023年2月〜6月

コロナが5類感染症に移行することが決まった。

つまり、コロナ収束とともに事業をたたむことになった。

事業撤退の準備を進めつつ、新規事業の立ち上げを日々模索した。

日本を代表する大きな会社だったので、新規事業への挑戦も色んなアイデアを出し合いながら進められた。

けれど、そう上手くいくものではなかった。

自分は、関連企業の別の仕事で看護師が足りないから手伝って欲しいとお願いされ、今度は神奈川に行くことになった。

自分が離れた後、その事業と部署は完全に閉じたと聞いた。

神奈川では、終末期の利用者さんが入居する施設で働くことになったが

救急医療とは全く異なるステージに立つ方への看護は学びが多かった。

生活も、交通費も家賃も光熱費も全て負担してもらえたので、

縁もゆかりもない土地だったけれど、楽しく生活できた。

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・2023年7月

別れ。

4年間お付き合いしていた女性と、神奈川滞在中に別れることになった。

価値観の相違。

正社員として安心・安定に働き、ローンを組んでマイホームと高級外車を買う

という価値観を押し付けられつつ、お互いが納得し、妥協できる落とし所を何とか模索しようと4年間かけた。

けれど、価値観の違いを抱えたままでは、「結婚」「出産」「子育て」といった言葉を互いにリアルに考えられなかった。

なるべくしてそうなった、と思っている。

20代後半になり、周りの友人は皆、結婚して、家を買って、子供を産んで、という状況の中、

自分は「周りの人達と同じ普通の生活」を送ることに違和感を感じずにはいられなかった。

だから、自分が進みたい道を選んだ。

その結果、今がある。

人と違うことをしていると、ずっと不安が付きまとう。

自分は間違った道を選んでいるのだろうか。

いつか後悔することになるのだろうか。

だけど、何百人、何千人の高齢者の方と、仕事を通じて関わってきて

皆、口を揃えて、やりたいことをしろと言う。

なら今、後悔していないのなら、それは間違ってはいないのだろう。

自分の気持ちは偽らずに、自分だけは自分を信じて進みたい。

そのあとは、やりたかったこと、自己投資になることを思う存分に金を惜しまずにやった。

歌うことは好きなのに歌が下手だからカラオケ嫌いだったのだけれど、そんな自分を変えたくてボイトレに通い始めた。

昔から少し寝不足になるとクマがひどく、周りから心配されることが多く、コンプレックスだったから、クマ取りをした。

数年に渡り健康診断でLDLコレステロールが高値だったが、遺伝性でありどうしようもないと諦めていた。だが、一度本気で健康に生きてみようと思い、健康のために生活習慣をガラッと変えた。

他にも色々と挑戦し続けており、良い方向に人生が進んでいると感じる。

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・2023年10月〜12月

神奈川の仕事を終え、滋賀の実家に帰った。

4-5年ほど前、自分の思うように生活したい、と急に実家を出て、一人暮らしを始めた。

母子家庭だった実家に、ある程度お金を入れていたため自分が出ることで経済的に厳しくなったのだが、押し切って一人暮らしを始めた。

結果的に、離婚していた両親が一緒に住むことになり、兄と妹、自分以外の家族が揃って、実家で暮らすことになった。

一人暮らしの父親を心配していたので、結果的に安心できる形に落ち着いて良かったと思う。

自分を含めて、家族の関係性はとても良いし、一人暮らししてからも頻繁に帰っていたので、

10月からの生活は問題なく送れている。

ただ、自分の部屋はないし、物が少ない父親と同室で生活している。

そのため、実家暮らしは長く続けるつもりはない。

この3ヶ月間は、仕事をほどほどに抑え、身の回りの整理をし、ゆっくりと過ごした。

自分を見つめ直す期間にした。

このしずかなインターネットを始めるきっかけにもなった。

そして、自分の本質を知ることができた。

自分のやりたいこと、居心地の良い暮らし方、どんな生き方をしたいかが少しずつ見えてきたように思う。

ゆっくり過ごしすぎてる気はするが、自分に必要な時間なのだと思う。

自分の人生を歩くために、時間をかけて自分と向き合いたい。

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来年、2024年は、どんな1年になるだろうか。

どんな人生にしたいだろうか。

ただボーッと日々を過ごしたくはない。

ここ数ヶ月、良い方向に進んでいると感じる自分の人生、

もっと良くしていきたい。

だから来年は

新しい挑戦をしたい。

新しい場所で暮らしたい。

そして、何より、楽しく生きていきたい。

明確なビジョンはないけれど、後悔しない、自分を偽らない選択をしていきたいと思う。

こばん

@koban
フリー看護師。