ぶっ刺さって抜けない。ほのぼの系ちょっと泣けるアニメーション映画かと思いきや、じくじくと感じる痛み、そしてそれが心地よくもある物語だった。
写真を撮るのが下手すぎるのはさておき。
以下ネタバレ有り。
テーマ曲『セプテンバー』
この物語のテーマ曲とも言える『セプテンバー』は日本版ポスターにもあるように「覚えてる?」から始まる曲だ。
ドッグとロボットの蜜月で流れる曲は、ドッグの好きな曲とともに二人の思い出が深まるテーマ曲だった。ロボットが夢見る時に口ずさむ時はピュアなラブソングだった。最後には過去へのラブソングになった。そんな印象を受けた。
ドッグとロボットの『セプテンバー』は過去のラブソングになってしまったけれど、底にあった愛情が消えたわけではない。いわば冷凍保存しているようなものなのだと思う。永遠にきらきらしたものとして、でも時が止まったまま残してある。
その象徴の歌だった。
ロボットは“成長”する
ドッグに組み立てられたロボットは“成長”していく。つまり玩具であった彼が“人間”(動物擬人化モノの映画なので表現は正しくないかもしれないが)として成長していく物語のように見えた。それは何度か繰り返される“オズの魔法使い”に一番表れていたと思う。オズの魔法使いは家に帰るためにエメラルドシティを目指すドロシーに、そしてビジュアルとして心を求めるブリキの木こりに重ねていると感じた。
また、ビーチに行く途中で愛情を注がれなくなってしまったロボットと目が合うという描写、そして、誰かに取って代わられてしまう不安が描かれた。
ロボットはドッグのことを信じ切っていたし、事実愛されていた。しかし、ロボットは“愛されなくなる可能性”や“ロボットである自分”をあの瞬間に意識させられ、代替可能な存在である恐怖を味わっている。ドッグを自分から奪う他者は悪者なのだ。このあたりの感覚はある意味で人間らしくもあり、子どもっぽさでもあるのかもしれない。
しかし、春になり鳥の親子とともに過ごし、おそらく雛の成長と巣立ちを見てロボットも精神的に成長をした。ドッグから愛情を受け取っていたロボットが、愛情を注ぐ側になった。私は口笛で雛をあやすシーンで泣いてしまったのだが、あのシーンが顕著だった。
その後廃品回収での親子を見た時のロボットは何を思っただろう。ぐるぐると回されるシーンはドッグとのローラースケートのシーンに重なって私はとてもしんどかったが、ワニの親子が仲睦まじい様子を見てロボットは彼らを“悪役”だとは思わなかったはずだ。
そしてラスカルに助けられて彼と共に過ごしはじめたロボットは、ラスカルが自分に注いでくれた愛情を深く理解したはずだし、他者の気持ちを汲み取ることだってできるようになっていた。ロボットにとってドッグは特別な存在で、すぐにでも駆け出してドッグを抱きしめたい。ドッグのそばにいる別のロボットは“悪役”ではないことを知っているが、ドッグが自分を抱きしめてくれることを夢想する。そしてそれは一方的な妄想ではなく、ドッグはそうしただろう。しかし、ラスカルに呼ばれて現実に戻る。ラスカルはロボットにとって“成長した今”の象徴だ。
成長したロボットは、思い出を冷凍保存することを決めた。ドッグへの愛は本物で、なくなっていないがロボットはドッグを追いかけなかった。
ほろ苦いが幼い子どもが成長していくのを見ているようだった。感覚としては『スタンド・バイ・ミー』に近いかもしれない。
喪失感とピュアな愛情が刺さって抜けない。もう一度見たいぐらいだが、いかんせんシアターが少ないので増えてくれたら嬉しい。