将来的なネットのあり方の片鱗を見ている

煌詠
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不思議なことに、最も落ち着くWEBスペース。

思えば同じようなことをローカル環境でやっていた。

1998年製のマッキントッシュを年に数回起動させて、フロッピーに日記を書く、という行為。

シーク音が数回鳴って、数秒遅れで全文がロードされる。

新卒の頃のおおよそ8年前の自分のデータを読む。

どうにもならずに、孤立無縁の25歳の呪詛のようなデータも読む。

ああ、あんま変わってないな、けど世のプロダクトの基本ソフトがそうであるように、微々たるバージョンアップでマシになってる、そんな感じ。

残念ながら世のコンピューターのように最新ハードになることはないのだけど、それもまた楽しい。

そういえば、ある業務関係の書類で私の特徴に、「鯉の絵を描いていて、変わっている人」って書いてあったな。

変わっている人ポジションは結構気が楽な反面、ああそう思ってたんだなこの人、と疎外感を感じることがある。

悪いことではない、けどけど良いことでもない、それが「変わっている人」の印象だからこそ、そう思うし、思われるのかもしれない。

新卒のころは、変わっているということに一種の得意感を持っていたけど、この頃は「変わっていない人」がどんな人かわからないなと思う。

そして、それをリラックスしているタイミングでふと思い出して、途端に絶望するんだけど、結局変わる必要ないなと思うわけだ。

感情が忙しい。

AIで声も映像も合成生成できるようになってきた。

いつかオリジナルは歳をとる。

頑固にもなるし、みんなの偶像から離れた生きた肉体の「有名人」が出来上がる。

みんな自分の理想の「有名人その人」が好きだから、合成生成された方が生き続ける。

そしていつか、そんなデータの集合体が衛星軌道を飛び続け、オリジナル本体は忘れられ、蛆の衣を纏って眠るんだろう。

そしてこの文章も「パターンA0000001」として学習され、私もいずれ蛆の衣を纏って眠る。

@koei
錦鯉アートを描いたり、立体物作ったり、会社員をやっています。