日蝕の夢を見た。
夢の中で、自分は家の庭の西の端に座っていた。現実と違って庭は一本の雑草もなく、よく手入れされた緑の芝生に覆われていた。電柱も電線も近所の家々もなかった。見慣れた山のずっと上に太陽がかかっていた。
隣に誰かがいた。どうも自分のパートナーであるらしかった。わたしたちは何も言わずに欠けてゆく太陽を眺めていた。
太陽がすっかり隠れると、雲ひとつない空はつややかな藍色に染まった。真っ白いコロナが輝いていた。なんて美しいのだろうと思った。いつまでもこうして眺めていたい。その一方で、昔の人びとが日蝕を凶兆だと信じた気持ちも分かる気がした。
目が覚めて愛用の夢辞典サイトを調べると、日蝕の夢は凶夢であると書かれていた。納得がいかなかった。検索すると、基本的には凶夢だが価値観が変わるチャンスを示す場合もあると書かれているサイトがあった。出典の明記もなくスピリチュアルなことを適当に書いてあるところがほとんどだ。某AIに訊いてみると、ジャーナリングをしろとか瞑想をしろとか、なにか青いものを身につけろとか更に適当なアドバイスが返ってきた。
鬱陶しいと思いつつ、価値観の変化には少し納得がいった。価値観というか、現実の中での自分の身の置き方とか、向く方向についてちょうど考えていたところだった。
見慣れた風景の、西の空高くにかかる太陽、その陽を覆う月の影、まばゆいコロナ、完全には暗くならない晴れ渡った空。息を呑むような美しい藍色。実在しない、けっきょく顔も名前も分からない、特にロマンティックな印象もないパートナー。解釈できる要素はいくらでもある。
でも、どんな意味を引き出そうが引き出すまいが、ただただ感動的な夢だった。
2026/06/07
Kohana