本を読むのはいいことだ。子供は特に読書の習慣を身につけるべきだし、国語教育を蔑ろにしてはならない。
こうした声は以前からあり、今もネットで定期的に話題に上る。
自分も概ね賛成だ。しかし、所謂読書家界隈でこの話が出ると排他的になる場合が多い。子供におすすめの本や、自分が読書で救われた体験をシェアしているうちはいいが、本を読まない人間は人生の愉しみを知らないとか、読書をする人間は心が豊かで優れているんだとなると、どこかヘイトじみてくる。「そういえば自分の気に入らないあの人は本が嫌いだった」といったポストが現れるまであと数秒だ。自分はため息をついてアプリを閉じる。
実は自分も似たことはよく考えてきた。本好きな人間は肩身が狭い。どこに行っても少数派なので話の合う人がいない。昔なら根暗、今なら陰キャといった言葉で馬鹿にされることも少なくない。だから憂さ晴らしに盛り上がる気持ちはわかるのだが、実際に目にすると覚めてしまう。こんな愚痴はノートに殴り書きするか、リアルの友人と言い合ってすぐに忘れてしまうくらいがちょうどいい。
と、ここで終わればきれいに収まるのだが、現実は複雑である。
自分は海外の作家や読書家のポストをよく見る。今は自動翻訳機能があるので便利だ。英語とフランス語は読めるものは自力で読み、スペイン語やドイツ語は翻訳に頼る。すると彼らも似たようなことを言っている。しかも日本人より長文で、熱く訴えるポストが多い。
それなのに海外の投稿は苦にならない。自分にとって外国語は非日常で、生々しさを感じないせいだ。誰かのポストというより読書に近い感覚で読んでいる。だから発言に乗せられて自分まで熱くなることはないし、過去の辛い思い出が甦ってきつい言葉を吐きたくなることもない。静かに共感し、過去に思いを馳せながらお勧めされている本をメモし、翻訳は出てないかと調べたりする。
人は本を読まなくなった。しかし文字は毎日大量に読んでいる。最近は動画コンテンツが増えたが、それでもまだまだSNSのポストやニュースや動画のコメント欄を読んで過ごす人は多い。
読書とSNSのポストを読むのと、いったいどこが違うのだろう。いちばん大きいのは書き手と読み手の距離じゃないだろうか。これが近いと、読み手は激しい言葉や感情に巻き込まれて自分を見失ってしまう。遠いほど、読みながら自分自身の中に潜って深い楽しみや喜びを得ることができる。
自分が好きなのは読書のほうだ。
2026/09/29
Kohana