自分が子供の頃に通っていたのは地元の公立の学校だった。昔の田舎の子供は大抵そうだ。私立の小中学校などそもそもなかった。
お昼は給食で、給食センターから運ばれてきた。主食はパンの日とご飯の日、そしてたまに麺の日があった。いちばん多いのがパンの日で、ほとんどは楕円形のコッペパンだった。
コッペパンには小さなマーガリンがついていた。バターパンの日があって、パン自体はおいしかったが不評だった。マーガリンがついてこなかったからだ。
問題はコッペパンである。箱に詰められたコッペパンの中に、ひとつだけ緑の紙が帯のように巻かれたものがあった。先生用のパンなのだ。
あのパンは他と何が違うのか、定期的に子供たちの間で話題になった。大きさは特に違うようには見えなかった。バターか砂糖が多めに入っているのだろうか。あれこれ議論し合った末、わたしたちは、あのパンにはイースト菌が多く入っているのだ、という結論にたどり着いた。
なぜイースト菌なのか。イースト菌が多いからってどんなメリットがあるのか。今考えれば馬鹿馬鹿しい話だが、当時の自分たちにはそれが一番本当らしい気がしたのだ。いくらかものは知っていたが、現実にあり得るかどうかの判断がつかなかったのである。
先日、SNSである人が酷い攻撃にさらされているのを見た。最初は些細な批判だったが、人々は過去の投稿を漁り、都合のいいものだけをつなぎ合わせて、その人を非人道的な極悪人に仕立て上げていった。
私はその人の主張には賛同できなかったが、これはやり過ぎだと思った。
攻撃している人たちはある分野について、その人より深く知っていたし関心もあった。しかし誰でもそこまで知っているわけではない。その人もそれほど深くは知らなかったのだろう。
なにより、人間の考えは理路整然としているものではない。Aと言ったからBに違いないとか、Cが嫌いだからDが好きだとは限らない。ごく普通の人がたったひとつ、とんでもない間違いを信じているのも良くあることだ。
パンのことであれこれ言っていた私たちは子供だった。話をしていたのは田舎の学校の教室だ。パンのイーストが多くても少なくても普通は人を傷つけない。私たちは、そのパンはどんな味がするのかとか、ものすごくふわふわしているのだろうかとか、大人になったら自分たちもそうしたパンを食べられるのだろうかとか、そんなことを考えながら配膳をしていた。
ネットで攻撃するのは大抵は大人である。勝手な決めつけや推測に基づくものも多い。そして相手を過剰に傷つけ否定し、精神的に追い込んでしまう。
子供は永遠に教室にはいられない。でもSNSには一生、好きなだけ入り浸ることができる。だから我に返る暇がない。
2026/09/06
Kohana