八百屋に寄った。
自分は野菜が好きである。あまり意識していなかったのだが、以前友人と食材の買い出しに行ったとき、「なに、その野菜の量、本当にひとりで食べるの? 1週間分?」と驚かれた。野菜は3日から4日分であった。そのとき、自分が野菜食いであることに気がついた。肉も魚も卵もミルクも大変美味しくいただくので、ベジタリアンではなくただの野菜食いである。
野菜食いの自分は野菜、特にタマネギと緑黄色野菜を切らすと居ても立ってもいられなくなる。先日もカボチャを切らしてしまったため、急遽小さな青果店で小松菜を買った。これで1日は持つなと思った。
お店のおじいさんと簡単なやりとりをして、小銭で払って店を出た。どういうわけか妙にすがすがしく、うきうきとした気持ちだった。その直後に憂鬱な予定がふたつ控えていたのだが、どちらも思いのほか上手くいった。いや、冷静に考えれば自分が勝手に悲観して憂鬱になっていただけで、この程度の結果は当然だったのかもしれないが。
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自分は所謂引き寄せの法則とか、願望実現にはまっていたことがある。天然石を買うとか瞑想とかメソッドとか、かなりあれこれ試したのだが、とび抜けた成果が出たことはなかった。でも、そのときに読んで当時はあまり理解できなかったことが、今になってしっくりくることがある。
たとえば、「今幸せを感じてください」と、「幸せに優劣をつけないでください」だ。
その日、自分は朝から緊張の極みにあった。あらゆる失敗の可能性を考えて、今日さえ乗り越えればすべて上手くいくのだと信じていた。しかしそんなのはナンセンスだし、恐ろしい試練が待ち受けている日の朝だって、美味しくコーヒーを飲んだりショート動画を見て笑ったっていいはずだ。
そしてもちろん、八百屋さんで小松菜を買って幸せになったっていい。そんなことくらいで幸せを感じるなんてしょぼい、幸せはもっと大きな願いや目標がかなってから味わうものだ、彼と復縁するまでは、結婚できるまでは、この仕事を成功させるまでは、この試験に合格するまでは、このお高いブランドの何某かを買うまでは、絶対に自分は幸せになれないし、ならない、といったこだわりは、願望達成希望者の陥りがちな罠だ。
そのあたりを理解してから、別に大金持ちになったり理想のパートナーに巡り会ったりはしていないが、かなり生きるのが楽になった。幸せを我慢したり、小さな幸せを貶す行為は損だと思う。仮に願望が叶っても、そのあとの日常はいつまでも続く。そして日常というものは、大抵は小さな幸せでできている。
2025/12/10
Kohana