少し前に、「有名なダイアリーを試しに使ってみたものの自分には合わないと判断し、挫折した」と書いた。しかしあれは嘘だった。正確には嘘になってしまった。読み物としてはまとまりがないが、これがリアルというものである。
あの文章を書いた翌日、しまいこんだダイアリーがどうしても気になって、こそこそと取り出して開き、デイリーのページに万年筆でこう書いた。
「この手帳、どうしようかなあ」
それから自分の頭に浮かぶことを書いていった。これを使わないなら来年はどんな手帳にするか、その手帳をどんなふうに使うか、来年はどんな年にしたいか、今読んでいる本のこと、久しぶりに会った母が思いのほか元気だったこと。この手帳の表紙の絵はすごく素敵だ。そういえばこの前寄ったある施設に「祈祷室」という小さな扉があったけれど、あれはムスリムの人のためのものなのだろうか。中はどうなっているんだろう。見てみたいけど失礼になりそうで残念だ。そういえば大学時代見学させてもらったモスクは。シャンデリアから絨毯まで、なにもかもが夢みたいに美しかった…。
気がつくと30分を超えていた。これが所謂ジャーナリングというやつか。
その翌日は少し暇だったので、その暇な時間をジャーナリングに費やした。手帳のデイリーページは1日1ページしかないのだが、自分は2025年版を10月はじめに手に入れたため、まっさらで使う予定のないページが9ヶ月ぶんもある。書ききれないぶんはその9ヶ月分の最初に書いた。それから今年の残りの3ヶ月で、したいこととすべきことのリストをつくり(これは巻末のリストを使った)、更に今年読みたい本のリストもつくった。全部で52冊。無理だ。でも来年に持ち越したっていいのだ。この手帳は来年分のフリーノートとしても使うことにした。
更に自分はこの手帳を、来年の手帳を決めかねている友人に勧めまくった。ほーらこんなに自由度の高いページがたくさん。ほーらこんなに大きく開いて書きやすくて、、ほーら紙がこんなに薄くて、なのにほーら万年筆でも裏移りしない!
そのダイアリーとはほぼ日手帳のHONである。ほぼ日というと、なんだか一部でものすごく盛り上がっており、中身とカバーが別でカバーがやたらと高く、関連グッズもたくさんあって敷居が高い、というイメージがある。たしかに「こんな風に使っています」という素敵な例を見ると気圧されて「いえ、自分は別のでいいです」となってしまいがちだ。でも、たまったポイントなんかを使って1冊手に入れてみるのもいいと思う。HONだと比較的安いし。
自分が既に「盛り上がっている一部の側」になりかけていることには、もちろん気がついている。
2025/10/14
Kohana