AIによるコンテンツが増えているそうだ。
たとえば音楽など、「○○風」と指定してそれっぽいのをたくさん作ってもらい、定額サービスで配信する。再生数が多ければ収入になる。自分でいちいち作曲演奏するより楽である。
と、ここまでは想像がつくのだが、なんとAIにお客さん役もしてもらい、再生回数を稼ぐのだそうだ。もちろんすぐに禁止になったらしいが、初めてこれを聞いたときはびっくりした。
もちろんイラストや文章の世界にもAIは進出している。クリエイターはみな怒ったり困ったりしている。「AIとかロボットはクリエイティブな仕事なんてできないはずだ」と安心していたのに、蓋を開ければ逆だったのだ。
ところで自分は文章を書くのが好きで、だから毎日こんなものを書いてはネットにアップしている。物語も子供の頃から書き続けている。自分が上手いとか、傑作を書いているとは思わない。でも、書いているときはいつも愉しい。自分の語彙や発想の乏しさにがっかりすることはあっても、創作が辛いとか、苦労して書いていると感じることはない。
この喜びは、AIでの“創作”では味わえないものだ。AIを使った創作にも面白さはあるのかもしれないが、それは今まで私達がやってきた創作とは別のものだ。いくらAIでできのいい物語や絵や音楽が作れても、自分自身で生み出す喜びが損なわれることはない。だから、「AIで簡単に創作ができます」という表現には違和感がある。
ここで出てくるのがオリジナリティの問題だ。人間は無からものを作れる、つまり創造や創作ができるけれど、AIなんて学習したものを再構成するだけじゃないか、という、もっともらしい意見がある。
でも、実はゼロからものを作り出した人間なんてひとりもいない。皆、過去に触れた優れた作品や、思い入れのある作品から影響を受けているし、意識的にせよ無意識にせよ、自分自身の経験をネタとして使っている。そう考えると、たくさんのものを学習したAIと、たくさんのものを見聞きしてきた人間のどこが違うのか、という話になる。AIと人間の違い、AIにはなくて人間だけが持っているものといえば、その人の個性だ。
(とりあえずそういうことにしておく)
だけど個性って何だろう。
自分は、個性とかオリジナリティというのは、大雑把に言えば創作するときの癖なんじゃないかなと思っている。
以前、ある劇団の養成所の先生が、「全く同じ服を着て同じ所作をしていても、その上でなお滲み出るものが個性です。それで打ち消されてしまう個性など、うちではいりません」と仰っているのを聞いたことがある。この考えを借りれば、クリエイター100人にテーマや色使い、構成や筋立てなどをかなり細かく指定して、なるべく同じになるように創作してもらい、それでも滲み出てしまうてしまう違いが、その人の個性とかオリジナリティと呼べるものなのかもしれない。
2025/11/10
Kohana