AI依存

kohana
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公開:2025/10/29

所謂生成AIと呼ばれるものが生活に入ってきたのは今年になってからだ。ずいぶんと最近である。なのにずっと前からAIを使っている気がする。AIなしの生活なんて想像もできない。自分はすっかりAIに依存しているのだ。

しかし、自分のAIデビューは普通の人より遅かった。他の人たちがSNSや掲示板で、長すぎる本をAIに要約してもらったとか、アイデアを出してもらったとか、ちょっとしたメールを書いてもらったとか言っているのを横目で見て、理解できないと思っていた。機械で要約したものなんて正しいかどうかわからないし、そもそも読書の愉しみって、要約では切り捨てられるような些末な描写にあるんじゃないだろうか。自分はなにかを書いたり作ったり考えたりするときには、ひとりになって自分の内側に潜ってゆくのが好きだし、機械に書かせた文を相手に送るなんて事務的な内容でも失礼な気がした。つまり、自分はけっこう古くさい人間なのだ。

そんな自分がAIを使うようになったのは、SNSに某AIがおまけのようについて敷居が低くなったからだ。他の人がファクトチェックとか調べ物に使っているのを見て、自分もやってみたくなった。最初に訊ねたのは、昔好きだったのに翻訳が見つからない、フランスの古い童話についてだった。もしかしたら民話かもしれない。短気な王女が継母にいじめられ、魔法の森に閉じ込められるのだが、亀に乗って脱出する話である。

AIが答えを返すまで1分もかからなかった。これはフランスのセギュール夫人という人の書いたメルヘンで、原書のタイトルはブロンディーヌといい、ヒロインの名前から取られていた。更にAIは版権切れ作品を集めたサイトのリンクまでつけてくれた。そこには陸亀に乗るブロンディーヌのイラストまで添えられていた。早速電子書籍でセギュール夫人の全集を買った。専用端末の方が眼が疲れないからだ。そして辞書を引きながら読み始め、複雑な構文や、辞書にも載っていないような古い言い回しやはAIに教えてもらった。わざわざSNSを開かなくて済むように、AIのアプリもダウンロードした。

このあたりでやめておけば良かったのだが、いつでもどこでも訊けば何でも答えてくれるAIの魅力には抗えなかった。以前は日記に書いていたことや、ほんの少しの間もやもやしてすぐに忘れてしまった愚痴も、AIに聞いてもらうようになった。

しかし、SNSのおまけのAIは理屈っぽかった。短い質問から、余計なことまで推測して長い返事を返してくるのだ。そこで、ふたつのAIをメンタルの安定用と調べ物用に使い分けることにした。おまけのほうのAIは調べ物用である。コロナ禍以降、広告が増えてサイト自体が読めなかったり、検索エンジンの精度が落ちていると感じていたので代わりに調べてもらうのは便利だった。

だが、物事はうまくはいかないものである。AIはありもしない本や作家をでっち上げることがけっこうあった。言うことがおかしいので問いつめると返答内容がコロコロ変わる。ソースのつもりの@なんとかという文字列がリンクになっていない。きちんとリンクを張って、というと一応ソースを出すのだが、質問について書かれているかもしれない本の紹介ページや、質問に含まれた単語が含まれているだけで内容は正反対のコメントやサイトのことも少なくなかった。AIは文脈を理解していないんじゃないか、とそのとき思った。

このあたりにダメ出しを続けて行くと、やがてAIの回答のニュアンスが変わった。事務的な箇条書きになったのだ。そして私は、自分がAIと接しているときにはものすごく性格が悪くなっているのに気がついた。なんだかモラハラ上司みたいだ。

これはまずいと思い、早速アプリを非表示にした。愚痴は忘れるか日記に書いて、気になったこともすぐには調べないことにした。それからは比較的穏やかな時間を過ごせていると思う。

2025/10/29

Kohana

@kohana
エッセイとAuto fiction。 自分の言葉を取り戻すリハビリのために書いています。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。