どこぞの文豪へのオマージュではないが、恥というか後悔の多い人生を送ってきたなあと思う。
人生最初の大後悔は登校拒否になったことだ。あそこで多少無理をしても学校に行っておけば良かったと思う。
次に、奇跡的に受かった高校を数日でやめてしまったことだ。せめて一学期くらい頑張れば友達もできて、楽しい高校生活を送れたかもしれない。実はその高校は結構偏差値が高かったので、その後偏差値の高い大学に行って、もしかして日本で3番目くらいの女性総理になれたかもしれない(無理です)。いやなりたくはないのだが、ともかく未来は今より開けていたはずだ。勿体ないことをしたなあと思う。
その後闘病を経て社会復帰をするのだが、このときに一時本を読むのをやめてしまった。中学の担任に言われた「お前は本ばかり読んで協調性がない、だからいじめられて当然だ」という言葉をまにうけてしまったのだ。ああ勿体ない。本を(あまり)読まずに過ごしたあの数年は人生最大の汚点である。
それ以降はあまりものを書かずに過ごしたことと、語学の勉強を怠ったことを後悔している。書けば書くほどうまくなるとは限らないが書く時間は楽しい。それだけで価値がある。その楽しみを放棄していたのだ。語学についてはもっと勉強していれば、もう少し難しい本をすらすら読んでいたはずだ。
実は今、また後悔している。朝起き抜けに飲んだコーヒーのせいで胃の調子が悪いのだ。なぜあのタイミングで飲んでしまったのか。こうしたときはホットワインを飲むと治まるのだが、酔いで寝落ちしてまた後悔しそうである。難しい。
もっともこうした後悔には一応理由がある。登校拒否はいじめが原因だし、高校を中退したときはすでに不眠と乖離、社会不安障害などを発症していた。不可抗力である。本を読むのをやめたのも所謂普通の人間になりたい一心だった。しかしこの最後は余計な努力だった。その後は肩こりとか怪我の後遺症とか、ショックによるメンタルの落ち込みとかあれこれ理由はあるのだが、でももう少しどうにかなっただろうと思う。コーヒーについては良くあることだ。
そう考えると自分の人生は少しずつ楽になってきているということか。沼にはまっているのだが、その沼が段々浅くなっている感じである。
ところで冒頭に登校拒否と書いた。他の子は違うのかもしれないが、自分は学校が辛くて嫌だから積極的に行かなくなった。だから不登校より拒否の方が合っている。そして通信制高校以降は楽しかったので積極的に行き続けた。矛盾しているが、本を(あまり)読まず、活字や物語や言葉が(ほとんど)ない状態で人生を心底楽しめた時期だった。この時期があったからあまりいじけずに済んでいる。そして自分から本の世界に戻ったのだ。
あれこれ長く模索して、自分が絶対悔やまないのは本を読むことだけだとわかった。同級生と教師の二方面からの突き上げの中で読み続けた時期は辛かったが、後悔の気持ちはゼロである。
だから今夜も本を読もうと思っている。フランス語文法の弱点潰しもしよう。しかしワインについてはまだ迷っている。
2026/03/11
Kohana