健康診断の煉獄

kohana
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公開:2025/10/20

煉獄という言葉をしばらく前はよく聞いていた。有名なアニメのキャラクターのようである。自分はアニメや漫画はほとんど見ないので、それ以上のことはわからない。ビジュアルは炎を思わせる髪をした少年、あるいは青年である。(日本のアニメのキャラクターは童顔なので年齢がわかりにくい)なるほど、名前にふさわしい雰囲気のキャラクターだなと思った。

もっとも、自分の知る煉獄はキリスト教文化の用語である。天国と地獄の中間にあり、人間の魂が浄化される場所とされている。やはり天国と地獄の間で、私の印象ではやや地獄寄りの場所にリンボという場所がある。天国に行くほど善くもなく、地獄に落ちるほど悪くもない人、洗礼を受けずに亡くなった子や、キリスト教の教えを知らずに生きた人の魂が行くとされているところだ。自分が中学生の時に読んだ本には、このリンボはのどかで過ごしやすい、私たちのイメージする楽園のような場所として描かれていた。だから天国なんか行かなくても、リンボで充分じゃないかと思った。しかしその本には、「神の善や知に触れることのできないリンボの住人は、けっして幸せとはいえないとされていた」というようなことが書いてあった。キリスト教を信じる人の理想は崇高なのだ。

それからいろいろあって、自分は小さな大学のキリスト教のゼミに入った。聖職者の資格もある先生のもとで、聖書を読んだりアウグスティヌスを要約したり、福音派の教会にお邪魔したりしていた。先生はプロテスタントだった気がするが。

その先生によれば、煉獄とは“良心の火にじりじりとあぶられているような精神状態”のことなんだそうである。

ところで自分は先日の健康診断をキャンセルした。どうしてキリスト教からいきなり健康診断なんだよと言われそうだが、自分の中では関係がある。

私は健康診断が基本的に嫌いである。コロナが蔓延していたときは、それにかこつけてキャンセルできる検診はできるだけ先延ばしにして、うやむやにしていた。真面目に受けはじめたのは一昨年前からだろうか。今回のキャンセルには、体調不良で正確な結果が出にくいというまっとうな理由があった。

でも本音を言えば、延期できてちょっと嬉しいと思っている。あわよくば予備日もキャンセルして、1年しらばっくれたいという気持ちもある。そして、そんな自分に疚しさを感じる。そのせいでずっと落ち着かない。普通なら「やむを得ない理由で今回はキャンセルしました」で終わりなのだが、どうにか検診をなしで済ませられないか、という気持ちがあるからそわそわするのだ。

そわそわしながら、この状態が先生のおっしゃっていた煉獄なんだなあ、と思った。人は誰しも、しょっちゅうこうした状況に陥っている。一神教では最後は善と悪が厳しくジャッジされるが、人間はそんなに単純なものではない。悪事を働いて良心にさいなまれたり、その一方で少しでも楽をして得ができないか、と頭を悩ませたりする。そんな人間の複雑さの受け皿として、煉獄とかリンボはよくできた発明なのだ。

ところでイギリスの妖精の正体のひとつに、「天国に行くほど善くもなく、地獄に行くほど悪くもない人間の魂である」という説がある。しかし、彼らの行動を見ると良心や複雑な感情を持っているようには思えない。居心地のいいリンボに長くとどまった魂は人の心を失い、妖精のようにさまようのかもしれない。

2025/10/20

Kohana

@kohana
エッセイとAuto fiction。 自分の言葉を取り戻すリハビリのために書いています。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。