彗星の思い出

kohana
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公開:2025/10/28

レモン彗星をまだ見ていない。一度チャレンジしたのだが、それらしきものは見えなかった。低すぎて山に隠れてしまっているのだ。今回は諦めるしかなさそうである。

昔一度、はっきりとした彗星を見たことがある。日本で、それも自分の家の窓からだ。

当時、自分は二階建ての一戸建てに住んでいた。寝室へと続く細い階段をちょうど昇り切ったところの窓に、夜になるたびその彗星が現れたのだ。

彗星は、ぼうっとした銀色だった。物心ついた頃から近眼の自分でも肉眼でよく見えたのだから、かなり明るい彗星だったのだと思う。最初は家族全員が窓に貼りついて大騒ぎをしたが、みんなすぐに飽きてしまった。自分だけがひとり、階段を昇るたびに感動していた。こんなものが家の窓から見えるなんて、大好きなSFアートの中に入り込んだみたいだ。もしかしたらこの家は遠い星に飛ばされていて、今玄関の戸を開けたら外は青い砂漠で、その果てに宝石のような異星人の都市が広がっているのかもしれない。そう思った。

彗星は(自分の記憶が正しければ)最初はほんの少し細長かったのが、少しずつ丸く、小さくなり、そしてどこかに消えてしまった。

彗星は、一度地球に接近して遠ざかると、二度と戻っては来ない種類のものだった。ちょうどそのとき読んだ雑誌に、その彗星は悪魔の星で、過去に何度も地球に接近して、そのたびに恐ろしい災害や戦争をもたらしたのだと書いてあった。災害は戦争は言うまでもないが、かつて地球に来ていたことすら嘘だったのだ。それを知って、オカルトや疑似科学を一切信じなくなった。

それから何年かのち、たまたま駅前で皆既日食を見たことがあった。ボランティアか、それともなにかの宣伝なのか、黒いシャツを着た人たちが、無料でサングラスを配っていた。居合わせた人々は、小さなセルロイド越しに太陽を見つめてはしゃいでいたのだけれど、陽が半分ほど欠けるとふいにしんとなった。みな心のどこかで、太陽がもう戻ってこなかったらどうしようという、本能的な恐怖を感じたのだ。

予言や疑似科学や陰謀論を本気にすることはないけれど、ほうき星から魔女を、流れ星に幸せを、日蝕や月蝕から死と再生を、火山からドラゴンを思い描いた古代の人々の感性は好きだ。彼らの血は、今を生きる私たちの中にも、たしかに流れているのだと思う。

2025/10/28

Kohana

@kohana
エッセイとAuto fiction。 自分の言葉を取り戻すリハビリのために書いています。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。