自他共に認める本好きというか活字中毒の自分だが、その大好きな本とか活字を読めなかった時期があった。
異変は中学の時に始まった。当時周囲から言葉と態度によるいじめを受けていた自分は、少しずつ精神のバランスを崩しはじめていた。集中力が落ち、ぼんやりすることが多くなり、指されたり話しかけられたりしてもうまく答えられなくなった。それが気持ち悪いというので更にいじめられた。
自分は変わらず本にしがみついていたが、読解力の低下は漠然と感じていた。ほんとうに読めているんだろうかといつも不安だった。
中学校を卒業し、公立高校に数日行ったときについに限界が来た。
朝起きられなくなった。ものが食べられなくなった。家から外に出られなくなった。もちろん学校にも行けなくなった。そして本も読めなくなった。開いて文字を追ってもなにも頭に入ってこない。どうにか読んだ部分も誤読をしているのではと不安になる。それですぐに閉じて棚に戻してしまう。
代わりにひっきりなしに手を洗うようになった。夜も眠れなくなった。病院の診断は強迫神経症だった。薬は全く効かなかった。
それでも自分は本に執着し続けた。読めないのに本を買っては棚や押し入れや箱にため込んだ。時々それをぜんぶ、表紙を上にしてテーブルに並べ、いつかこれを読めるようになるんだと自分を励ましていた。と書くきれいなドラマのようだが、実際にはその上に覆い被さって「いつかよむぞー」と呻いていた。当時はBMI13のミイラのような体型だったので、絵面としてはかなり怖い。
病気はなかなか治らなかった。薬を変えたり副作用で寝込んだり、病院を辞めたりとバタバタした日々を送っていたが、そのときは突然やってきた。
冬だった。当時我が家のリビングにはペチカを模した飾りがあって、くぼみの部分にストーブを収めるようになっていた。自分はその前に座り、膝の上の深紅の表紙の文庫本を眺めていた。
ずっと読みたかった平井呈一氏訳の吸血鬼ドラキュラだった。でもどうせ最初の数ページで挫折するんだ。
母の帰宅を待ちながら、ほかにすることもなかったので諦め半分にページをめくった。1ページ読んだ。次のページを読んだ。更に次のページも読んだ。一度も前を読み返すことはなかった。母が帰宅して夕食の支度を始めた。食卓に湯気が立ち、父や妹も帰ってきて自分も食事に呼ばれた。でも私はストーブの前から動かなかった。
その日からまた本が読めるようになった。もっとも最初のうちは活字の多いものしか読めなかった。余白や改行ばかりの本は、その隙間で余計なことを考えてしまう。だから当時はゾラとかドストエフスキーとかモーパッサンとかトルストイとか、とにかく字のびっしり詰まった本ばかり読んでいた。数年かけて字の少ない本も読めるようになった。
最後の試練は漫画だった。漫画は本当に難しい。ひとつのページがコマで割られ、キャラクターと背景と吹き出しがある。登場人物はみな服を着ていて、鞄や本や杖を手に持ち、恋人と手を繋いでいたり動物を従えていることもある。背景には並木道や店や学校、海や山やテーブルや燭台などが置かれている。更に吹き出しには台詞が書き込まれている。どこを見ればいいのかわからない。情報量が多いのだ。自分だって以前は普通に漫画を読んでいたのだからその頃を思い出せばいいのだが、自分自身がそんなすごいスキルを持っていたなんて信じられない。悩んだ末、妹に「漫画を読んでいるとき、どこを見ているの」と訊くと、「そんなこといちいち考えてない」と返ってきた。たしかにそうだ。
漫画に特別愛着があるわけではなかったが、サブカル大国の日本に生まれて「読まない」のではなく「読めない」のは損である、一大決心してコミック雑誌の定期購読を申し込み、1年後にどうにか漫画読みの能力を最終得した。
病気の時に「いつか読む」と自分を励ましていた本はほぼすべて手元に残っている。その本を読み、続編があると知って買って読み、更に未訳の続きの存在を知って辞書を引きながら苦労して読んでいる。
あの読めなかった時期を取り戻すには、これから100年あっても足りない。
2026/02/17
Kohana