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協調性について

kohana
·
公開:2026/9/21

保育園ではかなり活発な方だった。小学生ではそこそこ普通の子供だった。それが中1の後半からうまくいかなくなってきた。

自分の好みや発言は周囲から悉く浮いていた。そしてそれを直す気はさらさらなかった。反社会的だとか誰かを傷つけるならともかく、周りと趣味が合わないだけでは直す理由にはならなかった。そもそも直すという言い方がおかしい。合わせるのほうが適切だ。

自分はしかし、周りに合わせて嫌いなものや興味のないものを好きと言ったり、みんなが嫌っている子を一緒にいじめる気にもなれなかった。

そのあと病気で一時社会から距離を置くのだが、どうにか社会復帰した直後に所謂モテ期がやってきた。男女問わず周りに人が群れるのだから、さぞ幸せかと思いきや、まったくそんなことはなかった。

いつもいつもしんどかった。どうして自分はこんなに報われないんだろうと人生を悲観していた。当時は恋愛とか友情とか絆の素晴らしさを信じていたので、自己啓発とスピリチュアルがごった煮になった本を何冊も読んだ。その本に書かれているように、感謝して信じて待てば幸せになれるはずなのだ。

しかし効果はない。人間関係は変化せず、自分は不幸なままである。幸い当時の縁は環境の変化でひとつ、またひとつと切れていった。

そしてコロナがやってきた。他にもいろいろあって自分は部屋に閉じこもった。

ウクライナ侵攻が始まった日はキーウのライブ配信を見ていた。通りに車がひしめいている。画面の隅に、ウクライナはどうなるんだろうとか、ウクライナって昨日初めて知ったとか、ロシアはどうするつもりなのかとか、おまえらこんな時間に何してるんだよニートかよとか、今日の夕ご飯のはなににしようとか、酒が切れたから買ってきてくれとか、かりんとうはやっぱり二度揚げですねとか、心配しているのかのんびりしているのかわからない言葉の切れ端が流れていた。

画面の中で鐘が鳴った。なんて悲しい音なんだろうと思った。

それから、自分にはこれくらいがちょうどいいなと思った。自分がここにいて、他の人もどこかにいて、ただそこにいるという糸で繋がっている。

やがてコロナもなんとなく落ち着き、ウクライナ戦争は5年目に突入した。自分も社会とのつながりを取り戻したが、密な人間関係への興味は消えたままだ。

あの日以降、中学の時に教師から言われた、「お前には協調性がないからいじめられても自業自得だ」という言葉をよく思い出すようになった。

人に囲まれていたときの自分はたしかに協調性はあったかもしれないが、自分を周りに明け渡していた。だから不幸だったのだ。自己啓発本に書かれていた、いつも受け身で周りに感謝をする生き方も、自分にとっては似たようなものだった。それなら一生一人で、自分自身で自由な方がずっといい。

もっともこうした協調性は本来の協調性ではない気がするが。

2026/09/21

Kohana

@kohana
エッセイとAuto fiction。 自分の言葉を取り戻すリハビリのために書いています。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。