昨夜はあまり寝ていない。ショックなことがあって眠れなかった。
ショックというと悪いことのようだが逆である。
自分は10年以上、あることで悩んでいた。他人から見ても自分で考えても、正直にどうでもいい悩みである。今すぐ解決しなくても、いや、一生解決しなくたって特に問題ない悩みなのだ。だから普段は忘れていた。そして暇なときにひっぱりだして、あれこれいじり回してやっぱりいいか、とそのまましまい込んでいた。悩みと言うより古いパズルだ。
解決策は突然やってきた。昨夜ある本を夢中になって読んで(内容はその悩みとは関係ない)、ぼんやりした頭で本を置き、普段より遅い夕食の支度に立ったときに、がんとなにかで頭を殴られたような感覚に襲われた。
なあんだ、そうか、そういうことだったのかあ、そうすればよかったんだ、と思った。
それで悟りを開いたとか、金持ちになれる方法が見つかったとか、世界の真実を見抜いたのではない。ただ、今の社会での自分の立ち位置というか、自分の人生で向く方向のようなものがわかった。それで肩の荷が下りた。やや大袈裟だが生きるのが更に楽になった気がした。
そのあとは興奮して眠れず、部屋を片付けたり要らないアプリを消したり、日記や手を見返したりして過ごした。
自分は昔から時折こうした経験をしているのだが、その時どきの、所謂気づきのようなものを言語化すれば、もっと好きに生きていいんだとか、他人の言動をいちいち気にする必要はないんだとか、自分が好きなのはこれじゃなくてあれだったんだとか、個人的で当たり前のことばかりだ。でも、そのときの自分はそうした個人的で当たり前のことに悩んでいて、だから毎回世界が開かれるような感覚を味わった。しかし、どの体験もあくまで個人的なものである。
その一方で、こうした気づきで世界を救えるのだと信じてしまう人もいる。昔、ある教えを広めようと共同体をつくった人について書かれた本を読んだ。その団体はのちにトラブルを起こしてしまうのだが、少なくとも創立者は本当に素晴らしい体験をして、それを普遍的なものだと信じてしまったらしい。
けっきょく彼の試みはうまくいかなかったように見える。内的な体験はどんなに素晴らしく力強く思えても、個人的ではかないものだからだ。
だから自分は寝不足の悪寒と戦いながら、ちょっとスピがかったこの文章を書いて、今日は早めに寝ようとか、この週末はいらなくなったものを処分しようとか考えている。
2026/03/05
Kohana