読まなかったとき

kohana
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公開:2026/2/18

昨日は心の病気で本を読めなかったときのことを書いた。しかし回復後、自分はふたたび本から遠ざかってしまった。今度は読まなくなったのだ。

精神の安定をどうにか取り戻し、身体も回復しつつあった私は公立の通信制高校に入学した。試験はなかった。ただ単位取得の条件はかなり厳しかった。

最近は知られてきたが、通信制でも授業はある。一般にスクーリングと呼ばれるものだ。これに一定時間出席し、レポート(自分の学校では問題集のプリントのようなものだった)を作成、提出し、戻ってきたものを参考に勉強してテストを受ける。これを繰り返してやっと単位が取れるのだ。

おまけに通信制には体育があった。スクーリングの日に体育の授業が組まれており、体育館でバレーボールや卓球やバドミントンをするのである。更に生徒会とか学園祭もあった。こうした課外活動も単位に含まれているので、全部欠席するわけにはいかない。通信に入ったことを後悔した。

しかし、と即座に思い直した。これは自分が真人間になる最後のチャンスかもしれない。

真人間とはいったい何だろうか。私は長く自分を真人間ではないと思っていた。法に触れるようなことはしていないが、学校に行っていないのは普通ではないだろう。自分が学校に行けなくなったのはいじめがきっかけである。なぜ自分はいじめられたんだろうか。中学時代、ある担任教師から投げつけられた言葉が脳裏によみがえった。

「おまえは協調性がなくて本ばかり読んでいるから、いじめられても仕方がない、自業自得だ」

(余談だがこの教師は女性で、当時教師が生徒をおまえと呼ぶことは珍しくなかった)

そうだ、本を読むのをやめればいいんだ。

自分は本を段ボールに詰めて納戸に運び込んだ。ただ、真人間でも多少の本は読むはずなので自室の棚に収まる程度の本は残した。月刊ペン社の妖精文庫や国書刊行会の世界幻想文学大系は一般的な女子の本棚には並ばないのではないか、という問題には気がつかないふりをした。

こうして人生2回目の学校生活が始まった。友達とか仲間とか呼べる人たちができた。勉強は好きだったので先生方のおぼえも良かった。

人に好かれるのは悪い気はしなかった。自分は試行錯誤を繰り返し、適度に文学好きで何事にも一生懸命で愛情深い女子の仮面を作り上げた。新しい仮面はしっくりきた。これなら一生被り続けられる気がした。本好きで優しい、少し抜けたところのあるお姉さんというキャラはうけた。自分で言うのも気恥ずかしいがかなりもてた。

幸せでも楽しくもなかったといえば嘘になる。しかし、自分は常にわけのわからないしんどさを抱えていた。どんなに人から好かれても褒められても足りない。どうしてこんなに虚しいんだろう。

そのまま自分は学校を卒業し、進学した。高校に入ったときにつけた仮面の存在もいつか忘れてしまった。

仮面が取れたのはコロナの少し前だった。当時ショックなことがあり、半ば部屋にこもっていた。最初の数日はひたすら眠って過ごした。その後もしばらくは料理はせず、風呂にも入らず食事はコンビニで済ましていた。

それからふいに、自分は本が好きだったのだと思い出し、ベッドから降りて手持ちの本を読みはじめた。さらに中断していた英語とフランス語の勉強を始めた。

どうにか普通の生活に戻った頃にウクライナ侵攻が始まった。勉強を兼ねて海外のニュースを見ていると、ウクライナのコメディアン、ヴェルカ・セルデューチカのパフォーマンスが流れてきた。何かに取り憑かれたように、2分ほどの動画を繰り返し再生した。いつか自分で作り上げてすっかり忘れていた仮面がぱらぱらと剥がれ落ちた。

私の本好きは適度でなんかではなく気狂いじみていた。好きなことには寝食を忘れても、興味のないものには見向きもしない子供だった。自分はたいして愛情深い人間ではなかった。遠い不幸には心を痛めても隣の他人を助けるのは面倒だった。嫌いな人間なんてどんなに不幸になったってかまわなかった。そしてなにより、本さえ読めればほかのことなんてどうだっていいのだった。

それからは生きるのが楽になった。あの重たい霧のような虚しさは嘘のように消えてしまった。本を読んでいれば楽しいし、ただぼんやりひとりコーヒーを飲んでいるだけでも幸せを感じる。

好きなことは誰にどう言われてもやめなくていい。自分の場合はたまたま本だったが、それが絵を描くことでもスポーツでもり料理やコレクションでも同じことだ。

2026/02/18

Kohana

@kohana
エッセイとAuto fiction。 自分の言葉を取り戻すリハビリのために書いています。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。