感覚と機械

kohana
·
公開:2025/11/8

人間は五感から逃れられないものなのだ、と思うことがある。

たとえば自分は今、これをポメラで書いている。キーを打つたび手応えがあり、カチカチという音もする。これがないと打っている気がしない。

いや、スマホのキーにはそんな手応えはないのだった。でも、代わりにカチカチと音がするよう設定が選べるようになっている。画面をオンにするときも、演出としてやや大袈裟な音が鳴る。音や触感に代わるもの、それがあると錯覚させるものを必要とする人が多いからだと思う。

また、こんなケースもある。

もうかなり前になるが、自分はあるゲームにはまっていた。燃える火にサツマイモを入れ、適切なタイミングで引き出す、それだけのゲームだ。引き出すのが早ければ生焼けになるし、遅ければ真っ黒焦げになってしまう。画面は絵本ふうのイラストだった。

サツマイモは実際にはこんな焼き方はしないし、こんなに早く焼けるわけでもない。子供の頃に何度か焼き芋やたき火を経験した自分には、それがよくわかっていた。それなのに、焼き芋の絵を見ただけで、あのパリパリに乾いた皮のほのかな匂いを感じたし、枝のはぜる音を聞いて、火うっかり近づきすぎたときの、かっと頬が熱くなる感覚をありありと思い出した。宙に舞う新聞紙の切れ端や枯れ葉、火の粉まで見えるような気がした。ゲームを通じて昔の感覚を身体が思い出したのだ。

更にスマホの操作のときに、身体の感覚を使った解釈をすることもある。たとえばコピー&ペーストの機能だ。画面に触れて言葉や文を選択し、コピーしてそれを別のアプリに貼り付ける。これを自分は「指にシールのように貼りついた文字を移動させている」という感覚で使っているなあと思う。以前はそれが極まって、別のデバイスにコピペしようとして我に返った。そんなのできるわけないじゃん。

ところで自分は今iPhoneを2台持っている。片方は買い換え前の古い機種で、ミニタブレットとしてメールの受信と動画鑑賞、音楽プレイヤーとして使っているのだ。便利である。

そして先ほど、自治体内に熊が出たというメールをミニタブレットのほうで受けた。マップアプリは新しいiPhoneに入れてある。自分はタブレットのメールの文面から、熊が目撃された場所を無意識にコピーし、新しい方のマップアプリに貼り付け調べようとした。無理なのに。

しかし無理ではなかった。iPhone同士で同期ができていれば、デバイス間でのコピペができるようなのだ。

便利だなあとか、この冬もいつものように家でのんびり過ごそう、熊に遭わないに越したことはないとか、そんなことを考えてこれを書いた。

2025/11/08

Kohana

@kohana
エッセイとAuto fiction。 自分の言葉を取り戻すリハビリのために書いています。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。