アフリカのイメージ

kohana
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公開:2025/10/30

アフリカのホームタウン構想が誤解から来る炎上で中止になった。結構な数の人が、「アフリカという貧しいところから大量に難民が押し寄せ、日本が滅茶苦茶にされる」というデマを信じてしまったのだ。その一方で自分は「ガーナか‥‥ホームタウンになった自治体は直輸入のチョコや珈琲が手に入りやすくなるかもしれない」とのんきなことを考えていた。方向が違うだけでどっちもどっちなかんじだ。

しかし、どうもアフリカのイメージはよろしくない。アフリカは大きな逆三角の大陸で、その中にはたくさんの国があるのだが、なんとなくアフリカという大きな国ととらえている人が多いようだ。そして、その国は常に貧困や疫病に苦しんでおり、治安は悪いし内戦はしょっちゅうあるし、最近は新しい病気も流行しているし、そう考えるとたしかに怖いところである。

もちろんアフリカのすべてが貧しいわけではない。その一方で貧富の差が激しかったり汚職がひどかったりするのも事実で、募金や寄付を集めるときには、苦しくてひどい部分ばかり強調するものだから、こんな偏見が生まれてしまったのかもしれない。「貧しくて治安が悪くて大変なんですよ」と聞かされ続けた国についての悪い噂は本当っぽく思える。

さらにアフリカとそこに住む人々については、「かわいそうな地域」と「ぜったいに差別してはいけない人たち」というふたつの見方を押しつけられてきた、という面がある。

自分が子供の頃好きだった本に、アフリカの民話がいくつか載っていた。水の精霊にさらわれた女性の話や、世界から消えてしまった花を返してもらうために魔術師の屋敷を訪ねる青年の話、水の神様である虹色の蛇と一緒に旅をする老婆と娘の話など、他では読めないような物語ばかりだった。挿絵のアフリカのお姫様は、つややかな黒檀色の肌にあざやかな色の布を巻き付け、額や胸や手首には五色の宝石をつけていて、とても素敵だった。

でも、自分のその憧れは周りには理解されなかった。友達に話したときも、作文に書いたときも、「差別は良くないよ」「アフリカの人を馬鹿にしてはいけません」と言われてしまったのだ。肌の色の黒いお姫様に憧れるのは、差別で馬鹿にする行為なのだろうか。わたしたちはずっとアフリカの人たちをかわいそうと言い続けなくてはならないんだろうか。ああした風潮が、今回デマやの差別の遠因となったのではないかと自分はひそかに考えている。

ところで、当時読んだ中で特に忘れられないのが『金のこどもと銀のこども』という物語だ。天界で生まれた金と銀の肌の双子の話なのだが、「そのふたごが天界を歩くとき、金や銀の粒が地上に落ちてくることがある」と書かれていて、真に受けた自分は道や庭を探し回った。土や砂がきらめくのを見ては「あの子たちが落とした粒だ」と信じていた。近づくとなぜか消えてしまうのも、いかにも天から落ちてきた魔法の粒らしかった。

ホームタウンで真っ先にチョコと珈琲をイメージした自分は、当時とあまり変わっていないような気がする。

2025/10/30

Kohana

@kohana
エッセイとAuto fiction。 自分の言葉を取り戻すリハビリのために書いています。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。