語学の勉強のようなものをしている。身体の不調があるので一進一退だが、児童文学の原書くらいは読めるようになった。BD(フランスのコミック)も読む。興味のあるニュースもどうにか読む。興味というのは不思議だ。自分はリスニングが苦手なのだが、知りたい内容だと聞き取り度が三割増しくらいになる気がする。もっとも下っ端からの三割なので、理解できる量はほんのわずかだ。
勉強をしていて感じるのは、よく言われるが語学力の向上は直線ではないことだ。
どんなに勉強しても全く上達せず、自己嫌悪に陥りながら、半ば義務的に勉強は続ける。勉強自体は苦痛じゃないし、読んでいる本だって全然わからないわけじゃないし。
そうしてあるとき、多忙や体調不良で勉強を休んだあとが多いのだが、突然霧が晴れたように本や新聞が読めるようになる。その晴れ度合いが大きいと、ショックで他のことが手につかなくなる。
自分は本が好きで今でも大量の日本語の本を抱えているのに、読めるものが更に増えたらどうなるんだろう。今までただの音だった外国語が意味を持ったら、情報量が増えて脳は混乱しないだろうか。だけど二カ国語三カ国語で読んだり書いたり見たり聞いたりしている人は結構いる。その人たちはどうなんだろう。
そういえば家族に英語のできる人がいたのだった。さっそく訊いてみることにした。
英語ができるのは自分にとって普通なので、べつにそういうことはない。
らしい。そうか。普通だとそうなるのか。
自分にとってまだ外国語ができるのは普通ではない。霧が晴れたように見えても昨日や一昨日や一年前と比べてであって、我に返ればまた濃霧の中を手探りで進むことになる。
いつかこの霧が全部晴れて、何もかもはっきり見えるようになる日が来るのだろうか。そんな夢が叶うとは思えないが、まあ霧の中でもちょっとは読めるし、と思いながら勉強を続けている。
2026/09/13
Kohana