昨日ここに文章をアップしたあと、ひと息ついてニュースを見ると、政治は自分が考えていたよりも大変なことになっていた。そして懐かしい言葉を繰り返し聞いた。「‥‥一丁目一番地‥‥」
そうだ、一丁目だ。それに一番地がつくこともあった。自分は子供の頃、この言葉にずっとこだわっていた。
まだ小学校に入るか入らないかくらいのことである。本か漫画か、あるいはテレビだったかもしれないが、こんな言葉を眼に(または耳に)した。
「ここは地獄の一丁目‥‥」
どんなシチュエーションだったのかは忘れたが、自分が思ったのは
「地獄の一丁目って、どこだろうか」
ということだった。
地獄という街があるとしたら、一丁目はそこに入ってすぐの処だろうか。それとも大通りをずっと歩いて行った先の、閻魔大王の住むお城の処だろうか。
考えてもわからなかったので(あたりまえだ)洗濯物を干している母に訊いてみた。
「おかあさん、地獄の一丁目ってどこ」
母はぎょっとして私を見下ろした。それから
「なにいってるの」と水玉のバスタオルのしわを伸ばした。「地獄なんてどこにもないわよ、お話の中だけのことなんだから」
自分は普通よりも早く活字の本を読めたのだが、そのぶん本に書かれたことをすぐ信じ込む癖があった。よく「子供の想像力を育てましょう」などと言うが、私の両親はすさまじい勢いで生い茂って行く我が子の空想を刈り取るのに苦労していた。しかし念のために行っておくが、自分だって物語と現実の区別くらいはついていたし、この地獄の一丁目が喩えだということもわかっていた。
どうも母には話が通じないようだ。仕方がないので父に訊くことにした。父はちょうど庭の草刈りを終えたところだった。
「おとうさん、地獄の一丁目ってどこにあるの」
「なんだ、変な本を読むとまた夜眠れなくなるぞ」
というのが父の返事だった。汗だくの父はシャワーを浴びに行ってしまった。それから自分はずっと地獄の一丁目の謎にとらわれているのだが、たぶんそこは街の最初にできた部分なんだろうなと調べもせずに思っている。だとすると、閻魔大王の住んでいるあたりか。
それ以外にも、自分は周りと話のかみ合わないことが多かった。たとえば理科のテストで
「水を入れたビーカーに砂を落としたとき、どうなるか選びなさい」
というものがあった。二択で、片方は砂が水全体に散る、もう片方は下に沈むとなっていた。
自分は困惑し、散々悩んでから「全体に散ってから下に沈む」と書いた。細かい砂ならそうなるに違いないと思ったからだ。でも、正解は「下に沈む」で自分の答えはバツだった。
画一的な教育の批判には使えそうな話だが、授業中、先生は「砂を水に落とすと底に沈みます」と説明したはずだ。だから、「地獄の一丁目はどこか」「妖怪ポストはどこにあるのか」「鏡の前でものすごく速く動けば、もしかして鏡に映った自分はついてこられなくなるのでは」などと考えて、授業をまったく聞いていなかった自分の方に問題があったのだと思う。
2025/10/11
Kohana