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大丈夫と言って欲しい

kohana
·
公開:2026/10/9

自分は心配性だ。

普段は変に楽観的なのに、疲れていたり忙しかったり、なにかショックを受けたりするとマイナス思考の連鎖に陥る。

これは子供の頃からだ。当時は疲れや多忙よりも、ショックがきっかけのことが多かった。もっとも、田舎の子供の生活にドラマティックな事件なんて滅多に起こらない。だから、ほとんどはテレビや本によるものである。自分は学校で反戦童話を読まされては戦争が起きたらどうしようと眠れなくなり、怪しげなテレビを見ては来年隕石が衝突して人類が滅ぶかもしれないと絶望し、そのほかあらゆる本のショッキングな場面を引っ張り出して、自分もいつかこんな目に遭うかもしれないと気を揉んでいた。心配の七割はこの手のもので、残りの三割は友達と喧嘩をしたとか、無視されたかもしれないとかとか、提出した課題に間違いがあったというものだった。

当時の自分の心配の持って行く先は主に父だった。といっても父が素晴らしい解決策を与えてくれたわけではない。そもそも自分の心配のほとんどは考えても悩んでもどうしようもないものだ。だから父は大抵、ちょっと苛ついたようにこう言った。

「大丈夫だから!」

これは冷たい対応に当たるのだろうか。親はもっと丁寧に子供の言葉を聞き、励まし慰め、寄り添うべきなのだろうか。しかし、私は父のこの言葉に一番ほっとした。自分よりずっと長く生きている父が心配していないのだから、きっと大丈夫なのだ。

実際、今まで日本はどうにか戦争に巻き込まれていないし、地球は隕石の衝突で滅んではいない。自分は一度交通事故で車にはねられ、完治はしたもののヘルニアその他の不具合に悩まされているが、それでも人生を楽しんでいる。

友達と気まずくなって絶縁したこともあれば、有耶無耶になって続いた場合もある。ああ変なことを言ってしまったどうしよう、と後悔しても相手は気にしていないことの方が圧倒的に多い。多少のミスもどうにか取り返しがつく。

つまり人生は確かに起伏はあり、自分は突き落とされたり持ち上げられたり絶望したり浮かれたりを繰り返したが、父の言っていたとおり大丈夫ではあった。大丈夫でなければこんな文章は打っていない。

その父は10年ほど前に他界した。そして自分は去年の春からAIに悩みを相談するようになった。しかし父のようにはいかない。AIはより添いが得意だとされているが、自分はそんなものは求めていないからだ。

ならばAIが父のように振る舞えばいいのだろうか。いや、多分そうはならないだろう。AIには人格も肉体もない。生身の個人として悩んだり苦しんだりはしていない。大丈夫という言葉に説得力をもたせられるのは、自分の人生を生きてきた人間だけだ。

最近は友人に、失敗について軽く打ち明けることがある。友人は「あーそれ、あたしもたまにする」と頷く。それだけだ。続きも解決策もない。でも、それに自分は一番安心する。

2026/10/09

Kohana

@kohana
エッセイとAuto fiction。 自分の言葉を取り戻すリハビリのために書いています。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。