熊の出没が毎日ニュースになっている。番組のトップを飾らない日のほうが少ないくらいだ。
自分が今住んでいる処は田舎である。今年は3キロほど西にツキノワグマが出た。所謂アーバンベアではなく、林道を渡るところを目撃されたのだが、それでもあまりいい気はしない。更に離れたところでは明らかに目撃例が増えている。だから人と会うと、熊鈴を買おうかかとか、このマップのほうが見やすいとか、この前出た場所は通ったことがあるとか、ついそんな話になる。
熊は現実では滅多に見ないのに、なんとなく親しみを感じる動物である、言うまでもなくこれはフィクションの影響だろう。自分もミルンの『くまのプーさん』と『プー横町にたった家』は繰り返し読んだ。一方でパディントンは読みそびれている。子供の頃は黄色い熊のぬいぐるみをクッション代わりにしていた。森の三匹の熊という童話もあった。しかし、自分がいちばん好きな熊といえば、ちいさいモモちゃんシリーズに登場する「おいしいもののすきなくまさん」だ。
この作品は、空想と現実の入り交じったかわいらしいお話なのだが、途中、モモちゃんのパパとママが離婚、という幼年童話らしからぬ展開になる。パパと別れ、ママとモモちゃん、そしてまだ赤ちゃんの妹のアカネちゃんが引っ越した先で現れるのが、「おいしいもののすきなくまさん」なのだ。彼はおいしいものを食べるのもつくるのも好きで、母子家庭となったモモちゃん一家を助けてくれるのである。
しかし、本物のくまさんは雑食である。そのおいしいものが人間になる場合もあるのだ。かなり前から母に勧められていた『熊嵐』をやっと読んだときには、恐ろしくて眠れなかった。自分が熊に遭うとしたら、おいしいもののくまさんよりは『熊嵐』に登場する穴持たずに近いだろう。
熊の印象は、こうした相反するイメージのごった煮である。そのせいか、熊はかわいそう、熊を護れ、という訴えを時折見かける。
特に印象に残っているのは、檻に入れられた熊を囲んで笑っている猟師さんたちの写真だ。下には「猟師は熊をいじめて愉しんでいる」というキャプションがついていた。自分はすぐにアプリを閉じた。山で暮らす人々の物語を何冊も読んでいたので、そんなふうに単純には考えられなかったからだ。
最近見た熊のニュースで、あの檻は箱罠だったのではないかと気がついた。畑を荒らしたり、家畜を襲ったり、場合によっては自分たちの命を奪う猛獣を捕まえたのだから、愉快な気持ちにだってなるだろう。今回の出没をきっかけに、本物の熊と隣り合わせに生活している人たちの言葉が聞けるようになったのは良かったと思う。熊のことを一番よく知っているのは、熊と命のやりとりをしている人たちだ。
それでも熊を憎むことは難しい。じゃれあう子熊を母熊がそっと見守っている様子は本当に素敵だ。
自分が熊にに触れるのは写真や動画や本を通してなのだが、写真ではなくて本物を見たい、という人が最近は増えた。気軽に本物を見られるのはいいことなのかもしれない。でも、気軽な人間の不注意が、人にとっても熊にとっても不幸な事件のきっかけになるのだとしたら、自分は写真や動画を見たり、本を読んだりしているだけでいいと思ってしまう。
実際に見られなくても、こんなにかわいらしくて荒々しい生き物が、どこか遠くで幸せに暮らしている。そう考えるだけで充分だ。
2025/11/11
Kohana