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あとの祭り

kohana
·
公開:2026/10/14

時折ネットで、子供向けの教材の広告が表示されることがある。

自分には子供がいない。そして、今後子供を持つ可能性もゼロに近い。だから面白がって眺めたり、自分の子供の頃を思い出すくらいである。それから、少子化の時代にこの手の商売は大変だろうと考えたりする。

自分もそれなりに習い事をさせて貰ったが、親が特に教育に熱心だったからではない。

たとえば習字は友達がやっていたので、なんとなく自分も通うようになっただけだ。ピアノは祖母の知り合いのお嬢さんが始めた教室に生徒が集まらないので、頼まれて自分が通うことになった。こんなきっかけでも5年以上続いた。もっとも習っている期間の割にたいしてうまくならなかった。あまり熱心な生徒ではなかったのだ。

親は自分が好きなことを子供に勧めがちである。私の両親もそうだった。

母はお祭りが好きで、自分が小学生になると山車祭り連れて行った。しかし、私は何がどう面白いのか理解できなかった。大きな山車を男たちが引き回している。山車の上では化粧をした子供たちが何か演奏している。お囃子というらしい。山車には飾りがついているが、遠すぎてよく見えない。お囃子も人の声がうるさくてよく聞こえない。もっと近くで見たいし聞きたいし、あの意味を知りたいと思ったが、お祭りとはそうしたものではないようだった。

多趣味でアウトドア派な父は、自分に釣りやスキーをさせたがった。しかし、釣りは魚が怖くて触ることができなかった。スキーはそれなりに面白かったが、父があまりに頻繁に連れて行きたがるので却って嫌いになってしまった。今になってまた滑ってみたいと思うが、ブランクが長い上、大きな骨折をしたので諦めている。

残ったのは本だった。しかし、これも両親が熱心に読書教育を施したのではない。

まず、保育園が読み聞かせに熱心なところだった。更にその保育園に頻繁に業者さんが来て、その日は普段遊んでいる部屋や廊下が即席の書店になった。その中から好きな本を1冊選んで買ってもらえるのだ。当時の自分には何よりも楽しみな日だった。

家のリビングの棚には、父が大学時代に古書店で集めた古い、全部揃っていない文学全集が並んでいた。母はそれを時折読み、アッシャー家の崩壊と嵐が丘が面白いと言っていた。

つまり本はその辺にあるもので、大人は余暇に本を読むのが普通で、ああした難しい本はまだ読めないけれど、買ってもらった本は面白い。だから自分も読む。自分の本好きはそんなふうに始まった。

そして始まればもう終わりだった。のめり込みは年を追うごとに激しくなり、読書に割く時間も蔵書量も雪だるま式に増加し、人生は破綻する。

こんなはずではなかった、と父は思ったかもしれない。しかしあとの祭りである。自分をここまで本好きにした童話全集を買ってくれたのは父だし、自分が最初に読んだ西洋文学は、リビングのあの文学全集に入っていたジェイン・エアと大地だったのだから。

2026/10/14

Kohana

@kohana
エッセイとAuto fiction。 自分の言葉を取り戻すリハビリのために書いています。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。