意外性の魅力

kohana
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公開:2026/3/12

人間は意外性に弱い。たとえば「しっかりしていると思ったら意外にまぬけなところもある」とか「ふわっとした雰囲気の人だと思っていたのに怒ると怖い」「普段寝てばかりいるのに特定の分野で飛び抜けた才能を見せる」とかそうしたものだ。フィクションでもよく使われる。

しかし、これに所謂性差などが絡むと厄介である。「男なのに裁縫がうまいんだね」はあまり問題にならないが、「女だてらに」とか「女なのに」という言葉はほぼ撲滅対象である。そんなことを魅力的に感じるのはけしからんという声さえある。

自分は女だが、こうした風潮はめんどくさいなあと思う。ギャップ萌えなんて言葉あるくらい、意外性は魅力のひとつなのだ。その中に性別の印象が混ざっているのは当たり前である。

もっともそれにいつまでもとらわれるのはあまりいいことではない。たとえば「こはなさんって世間知らずのお嬢さんだと思っていたのに地雷除去も得意なんだ、すごい」と感動したとしても、あなたのような人が地雷なんか除去できるはずがないとか、してはいけないとか、雰囲気に合わないからやめろか言い出せば余計なお世話である。それでも第一印象くらいは自由でいいんじゃないか。

そしてジェンダー、つまり性別による役割や規範は今後多様になってゆくと思う。というより、今激しく否定されている役割も長い歴史の中ではごく短期間の価値観なので、時代が新しくなれば別の役割が作られたり復活したり、更に反対されて消えたりするんじゃないだろうか。それでも第一印象と内面のギャップは残るだろうし、もしかしたら別の意外性、たとえば「あなたは地球人のはずなのに火星人っぽい」とか「惑星生まれのはずなのにどうもそんな感じがしない、実はコロニー出身なのではないか、ギリギリ月では、と思ったら恒星間移民船団内のお生まれでしたか失礼」みたいなギャップが出てきて、生まれた場所による決めつけるのはやめよう、という運動や教育が生まれるのかもしれない。

世界はひとりの人間が理解するにはとっくに広くなりすぎた。ステレオタイプはそのグループの特徴をおおざっぱに捉えるには便利だ。その後、ステレオタイプを補正したり修正したりして更に世界を広げていけばいいんじゃないかと思う。

ものすごくへんな文になってしまった。

2026/03/12

Kohana

@kohana
エッセイとAuto fiction。 自分の言葉を取り戻すリハビリのために書いています。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。