引きこもりが問題になっている。中には家から一歩も出られない人もいて大変そうだ。自分もそうした時期を経験しているので、他人事とは思えない。
なぜあの頃の自分は外に出るのが怖かったのだろうか。学校を中退したので、同年代の人に会って惨めになるのが嫌だったのかもしれない。以前受けたいじめを思い出すのが怖かったのかもしれない。しかし、当時自分が感じていた恐怖はデフォルメされた妄想のようなものだった。とにかく外の世界は危険で怖い処なのだ。
だが、いつまでも家にこもっていては生きてゆくのは難しい。ある日自分は外出を決めた。ちょっとした用事ができたので、親の送迎を頼まずひとりでこなしてみようと考えたのだ。前日の夜はあらゆる想像が押し寄せて眠れなくなった。
夏だった。自分が住んでいる地方の町はさびれ始めていた。
ちょうどその頃、夜更けに人通りの少ない場所を歩いていた女性が連れ去られる事件があった。自分も同じ目に遭うかもしれない。いや、昼間の町中でそんなことはないだろう。しかし、さびれた町は昼間だって人通りが少ない。夜中と同じくらい危険なのではないか。
でなければチンピラのような人に絡まれるかもしれない。(上の妄想と大して変わらない内容である)
しかし自分は本物のチンピラを知らなかった。だから想像の中に出てくるのは昔漫画で読んだ派手なシャツを着た男性とか、母が若い頃に町で話題になっていたというピンクだか紫の髪の高校生である。その高校生は、リーゼントというガチョウの嘴のような形に髪を固め、頭全体を派手な色でまだらに染めていたらしい。自分はそうした男たちにからまれ、連れ去られるかもしれないのだ。真っ昼間に。
そんな不安と戦いながら、平日の午前に家を出た。冷房の効いたバスにはビーズ細工のバッグを抱えたお年寄りがぽつんと座っているだけだ。目的地に着くと覚悟を決めてバスを降りた。
通りはがらんとしていた。日にさらされたアスファルトの照り返しがまぶしかった。丸い郵便ポストが濃い影を落としていた。
チンピラどころか誰一人歩いていない。無人の街だ。無人の通りを歩いて用事を済ませ、小さな書店で文庫本と文房具を買った。久しぶりに本を選んで買えるのが嬉しかった。
天井ではエアコンが唸り、通路の端で扇風機がゆっくり首を振っていた。自分の母親よりひとまわり年かさの店員さんが麦茶をごちそうしてくれた。
「あなた、そんなに細いのに暑い中歩き回ったら倒れてしまうわよ。駅まで行くの? だったら道の右側を歩きなさい、日陰になっているから」
麦茶のお礼を言い、言われたとおり日陰を歩いて駅まで下りバスに乗った。
チンピラはいなかった。我に返ったような気分だった。なぜそんなものがいると思ったのか自分でも不思議だった。それから、まだらの髪の男子は、髪の色以外は至って普通の礼儀正しい少年だったという話を思い出した。
以来、自分は外出ができるようになった。複雑になるので経緯は省くが、その後しばらくして所謂社会復帰らしきものも果たし、必要なときはいくらでも、どこにでも行けるようになった。徒歩で、バスで、電車であちこち回るのは結構楽しい。
しかし必要でなければなるべく外出はしない。怖いからではなく面倒だからだ。そして、なにより家で本を読むほうが好きだからである。
2026/09/18
Kohana