朝起きて怠いと、熱があるかもしれないと思う。
そんなとき、手持ちの電子体温計で測ると36度を超えていることがある。よし、今日は無理はしないようにしようと思う。36度は自分にとっては高熱だからだ。
自分は稀に見る低体温だ。平熱は34度台である。ただ、この平熱は簡単に上下する。湯たんぽを抱いたあとは35度台後半になるし、ベッドから出てうろうろすると急降下する。口で測っても脇で測っても同じである。もっとも自分の体温が低めなことはたしかなようで、病院でも幾度か指摘された。成人後に。
そう、子供の頃は、自分の平熱が低い、ということがわからなかった。体質的な低体温というものも知られていなかったと思う。当時、我が家では水銀式の体温計を使っていた。硝子の棒の中に銀色の液体(厳密には液体ではない)が入っていて、暖めるとそれが伸びて適切な温度を示す。その水銀が途切れてしまったときには、お湯で温めたあと、冷水で冷やすと元通りに繋がる。使う前に水銀柱を下げるときは、ケースに入れて紐をつまんでくるくる回す。これを言葉で説明するのは難しい。
と、なかなか愉しいことの多い水銀式体温計だったのだが、下は35度くらいまでしか測れないという欠点があった。つまり、自分の平熱は測定不可能なのである。家庭での検温が必要な朝、どんなに頑張っても水銀柱が上がらず途方に暮れた。両親は「36.3と書いておきなさい、平熱は大体それくらいだから」と言った。つまり自分の子供の頃の平熱は親の決めたもので、実際の平熱ではなかった。たぶんほんとうの平熱はかなり低かった。
平熱が35度以下の場合、36度を過ぎるとふらふらである。“明らかな発熱”ではないし平熱は高い方が良いらしいのだが、本人にはきつい。体調を崩して保健室に行き、36.7という自分にとってはえらい高熱が出たときも、「昼間はこれくらい上がるものよ、早く教室に戻りなさい」と先生から横目で睨まれていた。ああ、仮病扱いされているんだなあと思った。
その後、気がつくと我が家でも電子体温計を使うようになり、女性の冷えや低体温についてもしきりに言われるようになった。ある医師から、「きみは体温が低いからね‥‥、血圧も低いし‥‥痩せているから体質なんだろうけど、しんどいでしょう」とたいそう同情的に言われ、なんだ、そういうことか、と気が楽になった。気が楽になっても低体温と低血圧のしんどさは変わらないのだが、今は少なくとも子供の頃よりはスケジュールの管理もしやすい。
こうした体験は不登校や人間不信にも繋がっていった。当時、低体温のしんどさが知られていれば、もう少し過ごしやすかったんじゃないかと思う。
2025/11/04
Kohana