ある人から勧められた自己啓発本を読んでる。いや、正確には聞いている。
家事をしているときや移動中は、オーディオブックかポッドキャストを聞くことが多い。だから洗濯物をしながら某国のスパイの話に耳を傾けたり、ゴミ出しをしながら下山事件の真相に夢中になったり、バスを降りながら某知事の過去のエピソードに聞き入ったりしている。ここ数日は、皿洗いなどをしながら素晴らしい人生を送る方法を聞いていた。
その本によれば、時間は非常に貴重なものだが、ほとんどの人はその重要さに気がついていないという。これはそうだなと思う。
それから、たとえば大金持ちの老人がいたとしても、老い先短い彼と入れ替わりたい人はいないだろうという。そうかなあ、これは人に依るのではないか、と自分は思った。
それから著者はネットのサービスを攻撃しはじめる。たとえば人が死ぬ直前に、サブスクリプションの動画を見なかったからといって後悔はしないだろうというのだ。これは違うな、と自分は思った。前にさんざん勧められた『愛の不時着』と、ずっと興味のあった『国民のしもべ』を2ヶ月だけ契約して一気見して、どっちもものすごく面白かったからだ。あのふたつを見ずに死ぬのは損だと思う。愛の不時着のおかげで食わず嫌いをしていた韓国ドラマに興味が出たし、国民のしもべは一番好きなドラマシリーズになった。
そんなに色々無駄を省いて、その時間を使って何をするのかというと、勉強をしてスキルアップをしてお金を稼ごうというのだった。しかし、そのお金で今欲しいものを買ったりしてはいけないのだ。車とか本とかゲームとか服とかには使わずに、投資をしてどんどんお金を増やしてゆくのだ。そうれば人より早く退職できる。つまり、お金をたくさん稼げばそれで時間を買い戻すことができるのだ。
ちょっとまて、と自分は思った。だったら最初に羨ましくない例として挙げていた大金持ちの老人は最強だ。だって、そのお金でいくらでも時間を買い戻せるではないか。
ここで思い出したことがあった。繰り返しになるが、自分は本が好きな子供だった。中学でいじめに遭ったとき、ある先生は、いじめの原因は私が本を読んでばかりいるせいだと考えていた。そして、年賀状にそのことを細かい字でびっしり書いて送ってきた。本なんて歳を取ってからでもいくらでも読める、とそこには書いてあった。この年賀状は登校拒否のきっかけになった。
もちろん自分は無視して本を読み続けた。幸い両親や、少数の先生は自分が本を読むことを認めて応援してくれた。当時読んだ本は、ライトノベルのようなものから海外の古典までさまざまだった。『はてしない物語』や『ジェイン•エア』は繰り返し読んでいるし、『ナナ』や『大地』や『罪と罰』は当時も夢中になったけれど、今読み返すと新しい発見がある。チェーホフの面白さは大人になってからわかるようになった。流行の小説は、今はのめり込めないものが多い。歳を取っても本を“読む”ことはできるかもしれないけれど、その年齢でしかできない読み方、読めない本はたしかにある。
かといって“全員が自分のように本を読むべきだ”とも思わない。
子供の頃に読んで今も忘れられない言葉に、「今、したいと思うことを思いきりやりなさい、それがそのときのあなたにとって、必要なものです」というものがある。
自分にとってはそれがずっと本だった、というだけで、映画とかサッカーとか野球とか、絵を描くこととか手芸だという人はたくさんいるはずだ。
「今、自分にとって必要なこと」を我慢してお金に換えていく、という方法は、あまりいいとは思えない。時間はお金で取り戻せるとしても、その時間は過ぎ去ってしまった20代や30代の瞬間とは別のものだ。
2025/10/15
Kohana