今思えば不思議なくらい、しんどさを抱えた子供だった。
10歳の時にはもう生きるのが辛いと感じていて、日記に書いたり友達に話したりした記憶がある。
とにかく毎日が息苦しい。なにもなくてもしんどいので、少しでも嫌なことや面倒なことがあると世界が終わるくらいの勢いで絶望した。
いつもみんなと一緒、というのがきつかった。大人は子供は無邪気な生き物で、お友達と一緒にいるのが好きなんだと信じているようだった。自分も友達はいたし、好きな男の子もいた。一緒に遊ぶのも好きだった。でも、それだけでは駄目なんだとかなり早くから感じていた。
ひとりでいたい子供だっているんですよ、と言い出す大人もたまにいた。そんな大人は、ひとりの子供をそっとやさしく見守るのが好きだ。自分はそれも嫌だった。訳知り顔の人間がのぞき見している状態はひとりじゃない。
つまり、自分は子供らしい子供じゃなかった。だから大人たちは手を焼いていたし、いじめや仲間はずれにも遭いやすかった。ルールを守っていても協調性がないと繰り返し責められた。複数の子がおなじ間違いをしたとき、見せしめになるのは大抵自分だった。
ひとりでいるときの自分は何をしていたんだろう。本を読んだり窓から外を眺めたり、文章や絵をかきながら考えごとをしていた。特に立派なことを考えていたわけではなかったが、その時間がないと自分は、自分自身に戻ることができなかった。自分にとっては睡眠と同じくらいに大切な時間だった。だから、保育園の次は学校、放課後は祖母の家、祖母の具合が悪くなったから学童、という生活はしんどかった。自分を取り戻す時間がなかったからだ。
自分のような人間は特殊なんだろうか。今の子供は始終SNSで友達と繋がっている。大人でも、友達とか彼氏と一緒でなければ寂しくて生きてゆけない、という人がいる。そうした人はどうやって自分を取り戻すんだろう。別の方法があるのだろうか。それともそうした人の考える自分と、私の考える自分は別のものなのだろうか。
プライバシーという言葉が神経質なくらい叫ばれるようになったが、プライベートのほうはあまり使われない。むしろみんな、そんなのはあまり大切ではないと考えているように思える。いつも繋がっていたいし、いつもなにかシェアしていたい。自分がいかに密な繋がりを持っているか見せびらかしたい。ネットはそんな人であふれている。ひとりは孤独であり、孤独は人の心を蝕むという考えも一般的だ。人は寄り添われ、見守られ、ケアされるべき存在らしい。
大人になってよかったのは、望めばそんな風潮を無視してひとりでいられることだ。独身は寂しいと言われるが、ずっと自分自身でいられる幸せがある。
もし将来誰かと密なつながりを持つとしても、自分を取り戻す時間だけは絶対に手放したくないと思う。
2026/09/26
Kohana