こどもの心を育むもの

kohana
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公開:2026/6/29

最近の子供は本を読まないらしい。本よりもゲームや動画の方が面白いのだ。

まあそんなものだろうと思う。子供の活字離れは自分が小さい頃から言われ続けてきたことだ。自分なんて本を読んでいるせいで変人で、今で言うところの陰キャで、自分から友達を作ろうとしない問題児くらいに言われていた。読み過ぎていたせいもあるが。

しかし、なぜ本、特に物語の本がそんなに素晴らしいのかはよく分からない。子供のゆたかな心を育むとよく言われるが、何をどう育むのか、どんなふうに豊かなのかについての説明はあまりない。

もっとも個人的には育もうが育むまいがどうでもいい。ただ本が面白くて好きなので、問題児扱いされても褒められても変わらず読み続けきた。それだけである。

でも、最近見たあるニュースに、これかと思うものがあった。

彼女は恐ろしい方法で人を傷つけ、死に至らしめた。もっとはっきり言うと、なんの罪もない相手を残酷にいたぶって殺したのだ。その裁判で、彼女と周囲のやりとりは全く噛み合っていなかった。いつも仲間と一緒にいて、自分みたいな本の虫なんかよりよっぽどコミュニケーション能力に優れているようなのに、所謂言外の意味がわからないのだ。

共感力の欠如とはこれか、と思った。

本、特に物語の本の良さのひとつは、別の時代や世界を体験させてくれること、性別や種族さえ超えてほかの存在になったり、その存在の内面を覗いたりできることだ。内面について極端にわかりやすい例を挙げると、「あんなやつどうでもいいよ」(といいつ実は気になる)とか、「はいはいありがとうございました」(もううんざりだとっとと失せろ)の()の部分である。

子供向けのものではこの()の部分を丁寧に説明してくれるものが少なくない。「…と元気なふりをしていましたが、狸はほんとうはがっかりしていたのです」といった具合である。そしてもっと難しい(とされる)作品になるとこうした直接描写は減り、キャラクターの内面は、なにげない台詞や仕草、ときに情景描写であらわされることになる。

こうした読書体験が共感性とか“ゆたかな心”を育んだかどうかはわからない。ただ、他の人の心は思うより複雑なのだとか、目の前にいる友達は、わたしとさよならしたあともちゃんといて、家に帰って自分の知らない時間を過ごしているんだとか(これは5歳の私には大発見だった)、自分とは違う考えの人や思いがけない世界がたくさんあるのだ、ということを学んだのは事実だ。

読書が育むとされているものとして、ほかに想像力がある。自分の場合は善くも悪くもこれが爆発した。架空のポストに入れるために手紙をつねにランドセルに忍ばせ、反戦童話を一本読むと恐怖で数日間不眠に悩まされた。宇宙人も魔法使いも妖怪も妖精もどこかに実在するものだったし、世界の終わりは自分が生きている間に絶対起こると信じていた。最後のものは最近現実味を帯びてきてしまったが。

両親は私の想像力を刈り取ることに忙しく疲弊していった。その“どこか”にこの世界や宇宙の外側を含めることで、私は自分の想像と現実の間にどうにか線を引いた。

繰り返しになってしまうが、読書が本当に子供の心を育むのか、それで優しいいい子に育つのかはよく分からない。もしかしたらほかにも面白くて心を育んでくれるものがあるかもしれない。

自分にいえるのは、ただ本というものがすさまじく面白いということだ。

2026/06/29

Kohana

@kohana
エッセイとAuto fiction。 自分の言葉を取り戻すリハビリのために書いています。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。