「食べ物の好き嫌いは特にありません、アレルギーもないです」
普段はこれで通している。実際、よほど変わったものでなければなんでも食べる。むしろ変わった食べ物なら一度は食べてみたいと思う方だ。問題は極端に食が細いことで、人並みの食事をすると数日寝込むことになる。
しかし子供の頃の自分はいかにも子供らしく、お腹いっぱい食べて本を読んで野原を走り回っていた。好き嫌いもちゃんとあった。にんじんとピーマンとほうれん草。子供の苦手な食べ物の定番である。子供が苦みを嫌うのは、一般的に苦みは腐敗など身体に悪いものを示すからだそうである。動物が本能的に好む味は甘みで、だから子供は甘いものが好きなのだと以前読んだ。ならばにんじんも好きになりそうなものだが、あの甘みは違うのだ。きっと世界中のにんじん嫌いの子供はそう思っている。自分もにんじんの甘さが苦手だった。
ところで自分はよく本を読む子供だった。保育園は読み聞かせが盛んなところで、棚の本も好きに持ち出してよかった。だから自由時間によく本を読んでいた。その中に豚の兄弟の絵本があった。この豚たちは冒頭では悪い子なのだが(実に悪そうに描かれている)にんじんの美味しさを知り、かしこい良い子に変わるのである。
読み終えたとき、自分はにんじんを食べる気になっていた。そしてその夜の肉じゃがに入っていたものを食べた。まずかった。自分の顔は冒頭の豚のようになった。それでまたにんじんを食べなくなった。
次ににんじんを口にしたのは別の幼年童話を読んだときだった。主人公の女の子はやはりにんじんが嫌いで、それを知ったにんじんはショックのあまり水の中に飛び込んでしまう。いや、足を滑らせて落ちたのかもしれないが、ともかく自分はそれを読んでたいへんなことになったと思った。だからその夜、シチューに入っていたにんじんを食べた。まずかった。
豚が改心しようがにんじんが入水しようが、まずいものはまずいのだ。その後自分はにんじんを避けまくった。二度とだまされないぞという気持ちだった。幸いうちの親は完食を強いるタイプではなかったので、苦手なものも小さいひと切れを食べればそれで許してくれた。自分は緑黄色野菜の一番小さい切れをどうにか噛んで飲み下しながら子供時代を過ごした。そして気がつくと、あんなに嫌いだったほうれん草とピーマンが好物になっていた。にんじんもサラダやマリネはよく食べる。成長して味覚が変化したのだ。
一人暮らしを初めてまもなく、自分は夕食に肉じゃがを作った。にんじんが余っていたので多めに入れた。できあがったものを口に入れた途端吐き出しそうになった。
にんじん嫌いを克服したと思っていたが、「醤油と砂糖とみりんで煮たにんじん」だけは苦手なままだったらしい、いや、普段はそこそこおいしく食べていたはずだ。理由はよくわからないが、そのとき作った肉じゃがのにんじんはまさに自分の苦手な味がした。
そのにんじんは普通の倍あった。残すこともできなくはなかったが、自分で料理したものを棄てるのは気が引けた。自己責任である。時間をかけて完食した後、二度とにんじんは醤油と砂糖で煮ないと決めた。今もこれは守っている。
2026/03/17
Kohana