[人によってはグロテスクに感じられる記述が含まれるのでご注意ください]
ラジオが好きだ。子供の頃は早起きの父が聴くラジオの音に起こされていた。思春期には自分の部屋に水色の小さなコンポを置いてやっぱりラジオを聴いていた。今も父の形見の小さいラジオをデスクの上に置いている。大きな事件や災害があった夜は枕元にラジオを置いて寝ることもある。
ラジオの面白さは多彩なコンテンツが次々に流れてくることと、掃除や作業をしながら楽しめることだ。ニュースの次に悩み事相談があり、クイズをやったかと思うとラジオドラマや朗読が始まる。深夜にアルバムをまるまる1枚流していることもある。専門家が出てきてびっくりするような話を始めることも多い。
その中で特に忘れられないのが、ある文化人類学者さんの話だ。記憶だけを頼りに書いているので、思い違いがあるかもしれないと前置きして続ける。その方は所謂人食い人種の人たちと一緒に暮らしたことがあるらしい。
人食い人種なんて差別と偏見に満ちた言葉だ。そもそも本当にいるんだろうか、と思うが実在するらしい。そして私たちがつい想像してしまうような、乱暴で野蛮な人たちではないそうだ。むしろ逆で、木の実を食べて日がな一日、にこにこゴロゴロ過ごしている。穏やかでのんびりした人たちなのだ。たまに人間を食べるのも、「そのために人を狩る」わけではない。怪我や病気で死んでしまえばお肉と見做されるからだ。貴重なタンパク源なのである。
あるとき村の人が亡くなった。でも故人と親しかった人は食事に加わらず、離れた場所で悲しそうにしていた。私たちだって牛肉や豚肉は美味しく食べても、かわいがっていたペットなら食べられないだろう。それと似ているなと思った。
しかし更にとんでもない話が続いた。そこでは人をびっくりさせると極刑なのだという。
びっくりさせるだけで極刑なんてやっぱり野蛮だ。そう思ってしまいそうだが、その人たちは、人間がびっくりすると魂が口から飛び出して死んでしまうと信じているのだった。つまり誰かをびっくりさせるのは、ナイフで胸を刺すのと同じくらい危険な行為なのだ。
馬鹿馬鹿しい、そんなことあるはずないじゃん、と言いたくなるが、もしも文明の進んだ宇宙人がやってきて、「ナイフで胸を刺せば死ぬなんて、迷信ですよ」と言っても自分は信じないだろう。
科学が進んで教育も行き渡って、世界のほとんどの人が地球は丸く、1たす1は2で、刃物を不用意に使うと大怪我をするという常識の上に生きている。もちろん自分もそうだ。でもその下には言葉では割り切れない価値観や思い込みが残っていて、その食い違いが軋轢を起こす。ある文化では普通のことが、別の人たちの間ではとんでもない非常識だということは珍しくない。
「そんなことをしたら死んでしまうじゃないか」と「そんなことあるはずないじゃん」の溝をどう埋めるのか、という問題はまだ残っていると思う。
2026/03/07
Kohana