10代の頃、喉の玉に悩んでいた。
その玉は喉のすぐ入り口にあったり、奥まで移動したりした。胸のあたりに現れることもあった。玉が出るとに気になって何も手につかなくなった。
最初に気になったのは中2の夏休みだった。勉強に集中できないので少しずつ水を飲んでしのいでいた。その玉は別のものを喉に通すと気にならなくなる。実在の玉ではないのだ。
医学的には梅核気というらしい。英語圏ではアダムとイブが食べたリンゴの種になぞらえられていると聞いた。しかし病名がついても治るわけではない。
梅核気は収まったり再発したりしながら少しずつ悪化していった。胸に症状が出ると飲食の刺激は逆効果になった。なにかを飲み込むとそれが胸を下りてゆくのがわかる。食べ物も水もぐいぐい食道を刺激し、圧迫感はときに激痛となった。食べるまで症状が出るどうかかわからないので、食事が辛くなっていった。
自分の苦しみ方が劇的すぎたらしく、当時かかっていた医師は鼻で笑った。
「梅核気死んだ人なんていませんよ」
ほかにもいろいろあってその病院に行くのをやめた。
その後、梅核気はいつの間にか治ってしまった。
こう書くのは非常に無責任だと自分でも思う。当時の自分が聞けば詳しく治った経緯を教えてほしいと懇願するだろう。しかし事実なのだから仕方がない。
心の病気は手を洗うとか鍵をしきりに確認するとか、喉が詰まるとかものが食べられなくなるとか、眠れなくなるとか本に集中できないとか、さまざまな症状を経て認知行動療法で寛解した。
あの頃の私にいえる言葉があるとすれば、焦って治そうと思うな、治らない病気ではないから、ということくらいだろうか。
心の病からは解放された自分だが、喉の違和感程度のものはストレスが重なるとたまに出る。そのときは来たな、と思う。そして放っておく。数時間で症状は消える。疲れの目安になるので便利である。
昨日は久しぶりに出たので、気分転換にお酒を飲もうと思った。外に出ると真夏日だったが風が気持ちよかった。
スーパーに着いたときには症状は治まっていた。でもせっかくなので、マスカットのチャミスルとチーズのスナックを買って帰った。こんなふうにお酒を飲む言い訳にもなっている。
Kohana
2026/07/26