信じてはいないが予言を読むのが好きだ。ネットや雑誌で予言を見つけると、カレンダーアプリにメモしておく。そして当たったとか外れたとかひとりで愉しんでいる。我ながら嫌な奴である。
かつて有名な女性預言者がコロナウィルスの流行を当てた、いや嘘だ、と騒ぎになったが、あれは事実だ。自分はその記事を読んでいた。もっとも当時はコロナという言葉は知られておらず、新型のインフルエンザと書かれていた。ほかにもある占い師さんがカードを使って1年を占ったとき、しきりに首を傾げながら「人口が減るほどではないけれど、全国規模の学級閉鎖が起こるような‥‥」と仰っていた。占いは象徴を読み取るもので、出た象徴と現実をすりあわせて答えを出す。衛生環境が良く医療も行き届いた日本で疫病が蔓延する、というのは本人の中で納得がいかなかったのかもしれない。
もちうろんこうした当たりは「たまたま」なのだが、古くから行われてきた未来を読み取ろうとする努力と、その結果を目の当たりにできるのが面白い。
いっぽうで象徴や努力どころではない人たちがいる。自称未来人である。彼らは決まって日本の某大型掲示板に現れる。常識的に考えればおかしいのだが、「どうしてもこの時代の人たちと交流したい、本音を言うと未来人の立場を利用して偉そうなことを言ってちやほやされたい。しかしばれるとまずいので、玉石混淆の掲示板なら万が一のことがあっても誤魔化せそうだ」という理屈ならなんとなく納得がいく。
未来から来た理由もいろいろである。調査のためとか、研究資料を集めるためとか、中には借金を返すためというのもあった。タイムマシンを作るのにお金がかかるのだ。そういえば以前読んだあるSF短編で、過去に戻って銀行にお金を預け、利子が膨らみきったところで引き出してそれを開発費用に充てるというものがあった。タイトルを忘れてしまったので探している。
未来人は、私たちにとっての近未来の出来事に妙に詳しい。自分がいきなり100年とか50年前にとばされてもあんなに正確には話せないなといつも思う。暗記は脳内チップで済ませているのかも、と余計なことを考える。
その一方で、やはり近未来になにが起こるかは気になる。ある未来人がもうすぐ第三次世界大戦が起きると言い出したとき、界隈はざわついた。しかし彼がそのときの総理の名を出すとみんながっかりした。彼が総理になるなんてあり得ないと思ったからだ。「つまりこれは全部嘘だってことでしょ」と言い出す人さえいた。しかしその後、彼が総裁選に出たので自分はちょっとどきどきした。信じてはいなくても予言にはこんな楽しみ方がある。
自分がいちばん読んで面白いのは未来の娯楽や食、ファッションについてだ。それなのにこうした描写は思いのほか少ない。質問する人がいないせいかもしれない。ある人によれば紙の本はなくなって読書はすべて体験型になるらしい。その一方で紙の本など、電力がなくても楽しめるものをとっておけという人もいる。海の魚は食べられなくなるそうだ。
こうした未来の人たちの話を流しながら寝るのが好きだ。自分がもし50年前とか30年前に行ったら、いや、朝起きて小学3年の自分になっていたらどうだろう。あの小学校の不潔さと騒々しさには耐えられないと思う。ならば夏休みはどうか、ああ、プールとラジオ体操と宿題があるのだ。子供の生活はけっこうストレスが多い。
親友だったSちゃんに未来のことを話してみようか。何をどんな風に話そうか考える。それを口に出して言ってみる。「ずっと言うか悩んでたんだけど、実はね‥‥」だんだんのってきて声も大きくなるが、田舎なので騒音被害の心配なない。それから本当に過去に戻ってしまう気がして怖くなり、口をつぐんでベッドに潜る。
自分は未来から来た人にはなれそうにない。
2026/03/04
Kohana