怖い話とか宇宙とか科学とか心霊とかが好きな子供だった。占いも好きだった。超能力は一時は本気で信じていた。
そのせいか、子供の頃の自分は素朴に何かを信じることが苦手だった。
たとえば私が6歳の時に叔母が死んだ。若くてきれいな人だった。自分から見ると彼女の美しさは少し古くさく、昔の邦画に出てくるような人という感じだった。
叔母はフリージアが好きだった。叔母の母である祖母は、だから棺を金色の花で埋め尽くした。お通夜に使われた部屋はむせかえるような甘い匂いで満たされた。叔母の姉である母は、あの子はこんないい匂いに包まれて天国に行けるのだから幸せだと泣いていた。
自分は首を横にして叔母の顔を見た。
鼻の穴に綿が詰まっていた。これじゃあ花の匂いなんてわからないじゃないかと思った。でも周りの大人たちは何も言わず、棺はそのまま葬儀場に運ばれていった。
それから数年後、今度は祖母が他界した。葬儀や遺品整理が終わってひと息つくと、母は果物やお菓子などをやたらと仏壇に供えるようになった。
おかしいんじゃないかと自分は思った。おばあちゃんのお骨はお墓にあるのに、どうして家に供えるのだろう。さらには母は供えたあとの果物を家族で食べたり、お菓子を私のおやつに食べなさいと出したりした。母は、家族の気持ちやお菓子のおいしさはきちんとお墓に伝わるのだと私に説明した。私は勝手にそれは電波のようなもので、位牌は電波の発信機なのだと解釈した。当時熟読していた某オカルト誌の影響である。
それでも普段はあまり食べないちょっと高い和菓子とか、おまんじゅうとか抹茶のチョコを宿題の合間につまみながら、なんだか変だなという気がしていた。このお菓子の一番おいしくて栄養のある部分はテレパシーみたいな力でお墓のおばあちゃんや、おばちゃんのところに伝わってしまい、自分はその抜け殻を食べているのだ。
今日は盆の入りである。自分も朝一番に父の眠る墓に行った。花を供えたが、これからこの墓はしばらく空になるのだから無駄なんじゃないかという気がした。雨が降っていたので水をかける行為も無意味である。これから留守になる墓に線香を供えてなんの意味があるのか。防犯だろうか。
そんな馬鹿なことを考えながら朝早い人々に混じり(田舎の盆の入りの朝はびっくりするほど早い)、すべきことを済ませ、家に帰って火の入っていない提灯をたたんで父の魂を連れて帰ったつもりになり、猫のラベルのワインを飲みつつこれを打っている。
自分は恩知らずにも猫を置いて実家を出たのだが、そのあと父の猫への愛は爆発した。父はずっと猫をかわいがりたかったのだが、私に邪魔されて触れることさえおぼつかなかったのである。
2026/08/13
Kohana