自己分析というか、感想を書き捨ててるだけの記事です。お暇な方だけお読みください🤗
先日こちらのテストを試してみたところ、「論理学者だね!」と言われました。4ヶ月前に受けた時と同じ結果です。
「論理学者はこんな人~」を読んでみると、けっこう心当たりがあります。
ということで、どこに心当たりがあるかを書いていき、論理学者らしく自分を分析してみたいと思います。
物思いにふける / ひっきりなしの思考
心当たり度:まあそうかな?
論理学者はよく物思いにふけるタイプで(それ自体は悪いことではありません)、思考がストップしていることはまれです。
朝起きた瞬間から、さまざまなアイデアや質問、洞察について頭がひっきりなしに動いているのです
物思いにふけりがちなのはその通りですね。
最近だと🎮のタスクと装備構成、Dockerについて、プロ野球始まっていろんなニュースが気になるなあ、というのが自分の外で興味のあるトピック。
自分の内(つまり思いついたこと)は、RUNTEQのイベント案・記事の案・エディタの改善・最近読んだ本のまとめ・自己分析の新しい切り口・やりたいことリストです。
あとは毎日1本記事を書くタスク、1冊本を読むタスクを設定しているので、それについて考えていると一日が終わってます。
タスクは100ほど溜まってます。これでもいくつか消してるんですけどね。
自分の思考に魅了される
心当たり度:わかる。
論理学者は好奇心旺盛な上に想像力豊かなので、自分の思考に際限なく魅了されるのです。
「発見」や「思いつき」をモチベーションに生きています。
シャイ?活発?どちらの面も持つ
心当たり度:超わかる。
論理学者は客観的かつ若干控えめで、よく物思いにふける人として知られています。
ただし、自分のすべての心的エネルギーを目前の“瞬間”または“誰か”に向けようとすることもあり、そんな様子に周りの人は少し違和感を覚えることもあるでしょう。
(略)
論理学者が無愛想または神経質だと思うのは誤解です。自分の精神的エネルギーと釣り合う人に出会った際には論理学者の顔色はパッと明るくなり、さまざまな考えに夢中になるでしょう。
その通りですね~
見知った人でもシャイな自分もいるし、初対面でもガンガン喋る自分もいます。躁鬱という感じではないんですよね。
「心的エネルギーを集中させる」というのは大変しっくりきます。
適当に喋るが、不誠実なつもりはない
心当たり度:これでしかない。
皮肉なことに、論理学者の言葉をいつも真に受ける必要はありません。
本人は不正直でいるつもりはなくても活発な頭脳の持ち主なので、熟慮していないアイデアや理論で頭があふれていることもあるからです。
本当にこの通りです。
「浮かんだアイデアは消える前に口に出す。とりあえず口に出しながら、ブラッシュアップしていく」というのが正義だと思っています。
私としては、「アイデアのタネ」「発見のタネ」がモチベを生むので、それは共有して楽しむべきなのです。
論理学者にとって最高の会話はブレインストーミングセッションのようなもので、“型破りな考え”や“とっぴな仮定”について語る余地がじゅうぶんにあるものです。
面白い議論を続けるために“悪魔の代弁者”に進んでなることも少なくないでしょう。
あれ?前話してたことはやってないの?
心当たり度:あるある
週末の予定から根本的な道徳原則にわたるあらゆることについて、“一度決心した”と周りの人に思われていることにまったく気づかずに、自分の考えを改める場合もあります。
あまり他人から言われたことはないですが、「決心したように思われてるかな」を改めることはよくあることです。
最近だと早起きやカリキュラムへの取り組みでしょうか。
論理学者はさまざまなアイデアや可能性について一日中、熟考できる人たちで、実際、そうすることもよくあります。
でも、それらのアイデアを実現させるために必要な日々の作業にずっと興味を持ち続けるとは限りません。
"分析まひ"
心当たり度:超ある
“分析まひ”は、論理学者の人生において複数の領域に影響をもたらすことがあります。
とてもささいな決断でも考えすぎることがあり、さまざまな考えが際限なく浮かんでしまうので、行動に移すのに苦労することがあります。
その結果、「自分は役に立てていない」と思ってしまったり、行き詰まりを感じたりする場合があるでしょう。
"分析まひ"したときーなんのアイデアも発見も浮かばないときーは完全に無力です。苦痛かつ無力です。なーんも思い浮かばないんですよね。
今まさにそうです。思いついて手をつけたいことが100くらいあるので、
何かしらの強制力があると、死んだ目で手だけ動かします。
おわり
いったんは無料分まで。
いやあ、すごいです。自分自身の理解は確実に進みました。
読んでいて思ったことを一つだけ。
「合理的・論理」という語がつかわれているのですが、個人的には
「合理:無駄のないさま」より「普遍:多くの対象に共通のもの」
「論理:筋道立てる」より「感覚:直感的にどう感じるか」
を重視していると思います。