僕は,仕事に関する本であれば,青天井で会社に経費申請して良い環境にいる。実にありがたい話だ。
今の会社に転じた理由はいくつかあるが,実はこの制度が決め手になったと言っても過言ではない。何に福利厚生をつけるかがその会社のカルチャーを雄弁に語るというが,書籍購入全額補助はなかなかわかりやすい。成長すること,進化すること,学び続けることこそ僕らのフィロソフィであるというメッセージだ(と,僕は解釈している)。
入社が決まった人に課題図書をどっさり渡すのも素敵な文化だと個人的には思っている(今は諸事情により僕が入社した4年前とはやり方を多少変えているようだ)そこらへんのノリというか,周波数が合うのって,所属するコミュニティを選ぶ上で(そして選ばれるうえで)結構大事な気がしている。
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ところで,さいきん僕はなるべく電子でなく紙の本を買うことにしている。一時期電子書籍ばかりだったが,昨年は紙の書籍の購入が7割くらいにまで戻っていた。これは物理的な存在が視界に入ることで過剰購入の抑止力になるというのに加え,並んだ書影が目に入ることで中身を反芻するのでより中身を覚えているという副次効果もある。ふらりと立ち寄った本屋での,偶然の出会いから買う本も多い。
電子書籍は中身をコピペしてNotionに突っ込みやすかったり,いろんな効率を考えると明らかに利便性が高かったりな気もするが,多分幻だ。どっかでいいこと言ってやろう,役立ててやろう,とストックした電子データが引き出されることはあるんだろうか。少なくとも僕はない。結局のところ思い出せないことは僕にとって些末なことなんだろう。大切なことは心のノートにメモっとけ,と宇宙兄弟でもいってたし,僕は100%同意する。
抜粋してデータ化した時点で,大事なものだけを取り出した気になるのも理解はできる。とはいえそれは,うまく精製しきれなかった本に含まれるエッセンスを捨て去る行為じゃなかろうか。
本との出会いは人との出会い似ているような気がする。僕は出会った人との間に生じたやりとりを,要約してアーカイブするような人間にはなりたくない。吉良吉影じゃあるまいし。
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僕が本を読むのが好きな人間に育ったのは,いつも身近にいた父が延々と本を読む人で,さらに僕が読みたいと言った本はノータイムで青天井に買ってくれる人だったからだとおもう。
そして僕も人の親になり,諸事情あって今は一緒に住んではいないのだが(これからも一緒に住まない可能性は高い)とはいえ蔵書が電子だと我が子に受け継ぐのが困難であると気づいた。もちろん積極的に譲りたいとは思わないし,別に僕の本でなくとも本を読む人間に育ってほしいと願っているが,形式上の制約でその筋をハナから閉ざすのは流儀に反する。ことさら僕の子でなくとも,だれかの目に触れて,そこから生まれる物語はあるような気がしている。
だから僕はなるべく紙の本を買う。
そういえば,他者から施してもらった恩義は,の人自身に返せずとも,その他の誰かに還元してあげればいいんだよ,と教えてくれた大学のサッカー部の先輩,元気かな。久しぶりに連絡してみるかな。
さて,明日は仕事始めだ。