私の大切な友人の身に、辛く険しい現実が与えられた。
私にそれを知らされたのは、こち(姪)の七五三の儀式を終えたその日で、こちがこの瞬間まで生きてくれていることに感動していたその直後のことだった。
知らせの前、私は親しい人間限定のストーリーにこんなことを書いていた。
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昨夜いろいろあり、情緒がまったく安定しないままこちの七五三の儀式に参加。
こちが3歳まで生きたこと、それをみんなで喜ぶこと、こちのためにお経を読んだりお祓いをしてくれる人がいること、お守りとかもらって、大切に大切に愛を受けてる姿を見たら、勝手に泣いてました。
私が最後に神社に到着したのですが「おばちゃんまだ?」ってずっとこちが言ってたというのを聞いて、私を好いてくれているこちにすごく救われている自分がいて、生まれてきただけですごいよな、3年も生きたんだな...すごいな、とか命って当たり前じゃないよなとか、ずっとずっと元気でいてほしいなとか
何年経っても変わらない愛情で、距離感で見守っていたいと強く思ったし、まっすぐな大人になりたいと本気で思った。胸を張ってこちと向き合っていたいよ
私は歪んだ愛情の中で育ってしまったけれどもこちにはそういった類のことで苦しい思いは絶対にして欲しくない
こういうのはうちらで終わりにしようって姉と約束した
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これは私の嘘偽りない心の声であり、決意表明でもあった。子供の命や生命力にこんなに感動する自分がいるなんて、ほんの数年前までは想像もできなかった。
友人の知らせは、私自身にとっても辛く険しい現実となって降り注いだ。
私が体験したことない事象に対してどう受け止めたら良いのか戸惑った。そもそも受け止めることが可能なのかとか、受け止められないものなのだと割り切るのかとか、考えても仕方がないことだった。
私は、泣いてる人間に対してどのように声をかけたらわからない性分なので、ただ話を聴いていた。
私がそんな人間であることなどとっくの昔にバレているので、彼女は私が重く受け止めないように、終始あっけらかんと話していた。
実際に彼女はあの頃よりとても強くなっていて、自分自身で乗り越えなきゃいけないことを自覚していて、たくましかった。まっすぐで、しっかりしてて、眩しかった。
しかし強いばかりでいられるものなのだろうか。毎日どんな気持ちで過ごしているのだろうと、そこばかりが気がかりで、日々想いを馳せている。
自分のことで精一杯なのに、他人の心配なんて本来ならばおこがましい。自分に助けられる力などないに等しいのにね、でもずっと気にしてる。
だから伝えられる気持ちは伝えていこうと思った。伝わらなくても良いから、私は気にしてるんだということを日々何かでさりげなく記していこうと思った。それは絵でも歌でも文章でも、誰かの作品を教えることとかでも、私が思うがままに、彼女に伝えていく。
追記
友達のお母さんに電話した
たまたま家電の番号が登録されたままだったのでかけることができたし、運良く出てもらえたのでいろいろと話せた
私にできることはなんだろうか