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人生の短さについて ープレイリストの最初と最後ー

kokeshidayo
·
公開:2024/8/13

 セネカ『人生の短さについて』を死ぬ前に周りに送りたくて,6冊ほどため込んでいる。ブックオフで100円で投げ売りされているこの本は,現代の人間が書くどんな時間術; 自己啓発本よりもラディカルであり,現実の人間におけるどんな”人生の先輩”よりもすこしは信頼できる。まぁ,時代背景が違いすぎて,たまに全然伝わらないたとえ話も多いのだが。私の人生のプレイリストの最初の方に入ってきた,地元のドンキに入ってるロシナンテで買ったこの『人生の短さについて』。最初期には三島由紀夫で,次にショーペンハウアー,次にはニーチェ,そしてアリストテレス。それを経てセネカ,ウィトゲンシュタイン。ショーペンハウアー『読書について』を読んでから,現代の生きている作家の作品を読むことができなくなって,『人生の短さについて』を読んでから,くだらないと思う人生を生きていられなくなった。その結果,確かに年齢不相応に生きることが出来ている。同じ時間分他人より”ただ在る”よりも,たしかに”生きて”いる。

 死から目を背けない者は幸いである。それは,すなわち生きることから目を背けないのに等しいからである。今まで自殺を考えたことのある者は幸いである。すなわちそれは一度でも生に向き合った経験だからである。

 ・・・話は変わって,そういえば,日本の哲学者には小さく分けて3種類,大きく分けて2種類いることに気が付いた。哲学者にかぎらないかもしれない。まず,

  1. 有名な哲学者(土屋,中島,納富など)

  2. (相対的に)無名な哲学者

が居る。そんで,この1. 有名な哲学者のなかに,1.1 ガチガチの哲学者と1.2 フラフラの哲学者の2種類がある。1.1の例としては,『哲学者というならず者がいる』の中島義道,『対話の技法』『ギリシア哲学史』の納富信留などがいる。1.2の例としては,『われ笑うゆえにわれあり』の土屋賢二,『山のパンセ』の串田孫一がいる。前者と後者に分かれるような情勢は,おそらくどこの学問でも同じであろう,論文を書かずに一般書ばかり書いているどころか,一般書でも何か”でたらめ”めいたことをやっているというのは,分野を問わず聞く話である。おそらく,ヒトの業のひとつなのだろう。生きるという観点からして,これらはどうだろうか。どちらが”生きて”いるのだろうか。セネカにいわせれば,おそらくふらふらとしながら,真理探究をする1.1と1.2の間,それか,1.3と言ってもいいだろう。それを良しとするだろう。そして,私もそうありたい。プレイリストの最後の曲はきっと笑えるなにか,になっていたい。

@kokeshidayo
泥濘で滑らないようにご自愛ください