今市隆二さんのコンサート「RYUJI IMAICHI CONCEPT LIVE 2024 RILY'S NIGHT/LOST"R" 」5月25日高知公演に行った。敬称略で書いたほうが文章がまとまるのだが、今回は「今市さん」と書くこととする。
会場となった高知県民文化会館オレンジホールは、FANTASTICSのコンサートでも訪れたことがある。ticketbookの最終発売で取れた席は2階の最後方だったが、収容力がおよそ1300人足らずの地方ホールなのでとても近くに感じられた。
私はLDHタレントのコンサートにおいて、ただの一度としてオペラグラスを使ったことがない。結果をいうとこの日も、オペラグラスが必要だと渇望する時間は皆無であった。地方巡業のコンサートにおいてぜいたくすぎるほどのセットが作る世界設定にくわえて、映像演出が出色だったことが理由のひとつだ。ふんだんに活用される映像や字幕は大きなスクリーンにわかりやすく展開し、今市さんの音楽そして込めた想いを過不足なく捕捉・補完していた。そして前回のRILY'S NIGHTに続いて息の合ったバンドとコーラスは会場の隅々まで満たしていて、今市さんの小粋で豊潤な声と華麗な舞踏のすぐれた趣は遠くまでしっかりと届いた。
なにより、今市さんの深い目は、あますところなく全てを映していたからだ。
2階席から、薄く降ろされた幕の向こうが青く光っているのを見えた。開演のおよそ15分前からバンドのアップが始まっていた。ギターの心地よい音も響いていた。ステージには、Rの文字の巨大なオブジェがあった。ステージの後方には、鈍色の、まるで荒野にすておかれたままの資材のような、あるいはかつて何かの建造物が建っていた痕のようにも見える、本ツアーのシンボルのひとつの廃墟の残骸のようなモチーフが交差して置かれている。Rのオブジェを見ていると、それは岸壁に刻まれた文字のように見えたり、あるいは石であったり彫刻であったり、はたまた洞窟のようにも見えたり、最後には、まるでRの字そのものが今市さん自身の「遺跡」のように思えた。照明は時々雷鳴のように光って、Rの字を意味深く照らしている。
やがてオープニング映像のようなものが流れ始めたが、それは事前に公開されていたティザームービーだった。「 RILY'S NIGHT/LOST"R"」のプロローグである。今市さんが赤いピアノに横たわっていて体から魂だけがが起き上がるシーンであったり、そうしたものが見られる。重いドラムがサウンドをみちびき、今市さんがスクリーンで百合の花を咲かせていたりしている。生音での重低音がずんずんと響き、とてもかっこいいムードがつくられていく。
また、ツアーを演出する映像において「喫煙」「煙草の吸い殻」といったモチーフが使われるのも今市さんならではだと思う。こうした「大人」の記号といえるモチーフは後輩グループやLDH文化において、これからゆっくりとなくなっていくのではないか。煙草や吸い殻をメタファーとして「安全」に「正しく」使うのは、本当の大人にしかできないことだ。今市さんの体に煙が満たされて、彼の体の一部がまとわりついた吸い殻が地に落ちると、中央に削がれた体躯のひとりの男が浮かび上がる。
赤いRの文字を背に、今市隆二さんの出である。
「 RILY'S NIGHT/LOST"R"」 のオーヴァーチュアとなった歌は、まだ配信などでも発表されていない新曲だった。コンサート終了後の場内に流れていたように思う。ブルーのコーデュロイジャケットなのか、あるいはつなぎのようなセットアップを纏っている今市さんを、付き従ってツアーをまわっている専属のダンサーたちが囲み、今市さんにまとわりついて周囲をまわるような振り付け、そして今市さんがダンサーたちをはらいのけるような振り付けがみられ、ラフでいてクールだった。今市さんは長い髪をまとめられている。相変わらずやわらかいひざで、抜けるような踊りで、小さくて細く、華奢でそれはもう私がみてきたLDHタレントのだれより華奢に見える。重心が華麗に自在に落ちる。ダンサーとともに組む隊列の美しさに目を見張るほかなかったし、ダンサーに守られるように踊るときの切なさもかんじた。男たちをまとめる強力も滲めば、男たちに守られる貞節なでにじむ、今市さんのチャームの多彩さである。「ここからはじまるデスティニー」といったような歌詞も聞こえた気がしたし、「dancin to the life」といった詩も聞こえた気がする。
そして赤いRのオブジェが輝けば「ZONE OF GOLD」であった。今市さんが2020年に発表したアルバムのタイトルロールの一曲であり、とてもドラマティックなイントロがひかる歌だ。この歌をうたうと、今市さんの小さい体躯が曲似ひきたてられてとても目立つ。間奏の踊りがとても華麗でやわらかい。そして、自立した男とそのまわりに集まる腕自慢の男たちが集ったときの、ギャングっぽい凄みも目立つ歌だった。ダンサーの人たちはどすのきいた踊りをおどっていて、そうすると今市さんの小ささが際立つ。とても小さな人だ。腰もひざも、肩も自在だ。ここでも、「男たちに守られている男」といったタイミング特有の魅惑が光る。例えるなら、クローズシリーズの武装戦線の男達と、その頭だろうか。長い指でリズムをとりしめくくるラストがかっこよかった。とにかく踊りに瞠目するほかない。
そして「ZONE OF GOLD」から、「LOVE THIEF」へは、踊ることによって歌から歌へつながれていくのだが、この舞踊による曲の変容が実に鮮やかでやわらかであった。今市さんの披露する劇性や歌曲のようなボリュームに、私はいつもやわらかさをかんじる。「 RILY'S NIGHT/LOST"R" 」でも前回の「 RILY'S NIGHT」でも幾度となく「やわらかい」という言葉が踊った。「LOVE THIEF」は、「ZONE OF GOLD」の意義深い劇的さから一転、ポップな高揚とを感じられるナンバーだ。ギターのリフにあわせたAメロも小粋だ。曲から曲をつなぐ踊りのやわらかさ。歌えるから踊れる。うたうことで踊る。踊ることでうたう。美しいステップに魅せられながら、踊ってこそだ。歌ってこそだ、私はそんなことを思った。ピナ・バウシュの映画で踊ることは生きるこというワードがあったが、力のひとつもはいってない今市さんを見て、歌うことと踊ることはすべてつながっていて、その先に今市さんとして生きることがあるのだと、そんなことを思った。
白いスクリーンが降りてくると、「ROMEO + JULIET」が始まって、このナンバーも刮目すべき演目だった。昨年出た『GOOD OLD FUTURE』という心地よいR&Bが揃ったミニアルバムのうちの一曲である。このとき、舞台装置のブリッジのような機構が、今市さんの歌ひとつで、ヴェローナのキャピュレット家のバルコニーに様変わりした。今市さんは歌うことによって、たったひとりでロミオとジュリエットを演じはじめたのだ。今市さんがロミオとなりジュリエットを愛し、やがて今市さんがジュリエットとなってロミオに愛される歌に変わっていた。ロミオとジュリエットを一人で行き来している。この魔法は、ダンサーが巧みに装置を動かすことによって完成している。歌だけでは成し得ない芸だ。サビではロミオになり、そこにいないジュリエットを向いて歌っていた。ダンサーもそれぞれが愛し合い、バルコニーの下で、今市さんによるスタンドマイクを使った舞も見られた。深く沈む足や柔らかい腕が目立ち、腰を深くおとし、ギターと歌うように踊っていた。
「ROMEO + JULIET」を現代に置き換えた歌詞は報われない恋の歌だが、つづく「REALLY LOVE」はさらに身軽な歌である。ミュージックビデオでは、所属会社が特徴として持つしがらみを軽々とほどき、あっという間に世界の最先端へローラースケートで達してしまったような歌だ。もうそのままそこにずっといたらいいのにと思うのだが、今市さんはこうして日本のはずれにまで来てくれる。前回の「RILY'S NIGHT」では「華金」という面白い歌があり、「REALLY LOVE」はフックという意味でいえば、似たような存在かもしれない。今市さんは、「盛り上がっていますか?一緒に楽しんでいきましょう」といった綺麗な敬語で、客を導くように易しく語りかける。私は今回の「 RILY'S NIGHT/LOST"R" 」で、ともすればおらおらやぎらぎらなどの代名詞扱いもされがちな今市さんが、とても自由でジェンダーレスだとおもうことが多かった。「ROMEO + JULIET」で、ジュリエット役をダンサーに宛てずに、今市さんが自分でロミオもジュリエットも請け負った様を見た瞬間さらにその思いをつよめた。また、「ROMEO + JULIET」で活躍したバルコニーも、今も役割をあたえられていて、ダンサーたちはそこでふんだんにファンキーな振り付けで踊る。はぎれがよくて、振り付けはキュートで易しいものだ。見てすぐに憶えやすい優しさに、第一線の符牒がちりばめられている。それでいて開かれている。
この、お客に開かれる心、お客を豊かに愛するマインド。
これを観ていると、私は、大好きなグループのあの青年を思い出さずにはいられなかった……というように、私は、一番好きなグループの、まあFANTASTICSなのですが、かの青年たちと今市隆二さんの演舞や歌唱をことあるごとに重ねて見てたのですが、この文章では、一旦そうした思慕をすべて書きだしたあと、やっぱりぜんぶ割愛しました。
「REALLY LOVE」は手を花のようにひらひらさせて前後にきざむステップなどもとてもかわいくて、とてもキュートなタイムだった。
そんなキュートな演目から、「CASTLE OF SAND」へ移れば、おそらくこうしたナンバーが最も得意分野なのであろう、コールタールのような濃厚な艶がステージから滴るようだ。ダンサーも使う武器を切り替えて、今市さんの要求に応え始める。たっぷりとしたピアノが鳴った刹那今市さんの語りが即時に響くナンバーで、そんな濃醇な歌を、歌だけに全部をあずけずに、しっかりと踊っている。それでいて歌はたっぷりと広がっていく。この歌に関しては、今市さんの踊りはひざより上半身に力が選り分けられる。手を明確に使っていて、「ランプに」のところでダンサーに小刻みにスポットがあたるのも印象的だ。「くちづけ」というワードで手にキスをしている。今市さんはひざまづいて、星みたいな声で歌う。そのさまはまるで、今市さんがときどき引用する『特攻の拓』(なんで今市さんはしばしば特攻の拓の名前を出すの?なんかのメディア展開の伏線?)の伝説の登場人物、天羽セロニアス時貞のようだった。ここで私はある青年の顔を浮かべていた。なあ、ここじゃない、ゴールここじゃない、こうならないといけないんじゃない、それはFANTASTICSの……という部分は割愛します。
バンドのブレイクタイムも圧巻でおしゃれだ。ピアノのプレイに、とくに聞き入ってしまった。このあたりで今市さんは、ジレのような衣装で再登場されたと思う。ロングジレのような衣装の肩口から鍛えられた腕が剥き出しになっていて、ファンのあいだで話題になっていたように思う。ただ私は二階最後方なのでそういったところはよく見えなかった。
「 RILY'S NIGHT」から「LOST"R"」に至るこのツアーは、今市さんが己の歌をあますところなく浚うコンサートである。私のような、位の低いファンだと、タイトルをみてすぐにメロディーが浮かばない曲が多く、前述の「華金」や今市さん最大のポップな血肉が沸き踊る歌「Catch my Light」は披露されないことを知ったとき、単純に私はそれをやらないのかと思った。けれどこのあたりで、それらを選ばなかった理由も今日披露された曲を選んだ理由もわかってきた。
きれいなシンセサイザーの音にみちびかれて、街角のバーを模したような演出のなかに登場した今市さんは、「あらためまして今市隆二です。今日一日よろしくおねがいします」と挨拶をかわされた。実に丁重な挨拶を聞き、これはお客も一緒につくっていく時間なんだなとおもった。「残り3公演となりました。15公演やってきて、しっかり1公演噛みしめながら、楽しみながらやっている」と落ち着いたトーンでお話されていて、「高知初上陸です」と宣言すると、ファンの皆さんは大変よろこび、今市さんは「天気良すぎて困るね、ハハ」と苦笑いされた。今市さんはここであらためて「お願いします」とお客を敬うことを忘れていなかった。「暑いね、暑いよ、めっちゃあっという間じゃない」という言葉は、このコーナーをすすめるパートナーのダンサーのたいちさんに向かって飛んでいて、仲間にはくだけた言葉で語りかけるが、お客にはここまで一貫して敬語だった。このとき、司会(本職の司会者かミュージカル俳優のように言葉の語らいかたがきれい)のダンサーたいちさんと、髪型がかぶっているとかかぶっていないとかのたわむれをみせていた。ダンサーのたいちさんが高知の良さを「島のあたたかさ」と表現すると、今市さんは「島?高知って島?」ととぼけたことを仰られていた。この独特の常識の忘れ方、浮遊しながら育ってきた純度あるとぼけは、八木勇征も似たところがある。そしてふたりは高知に伝わる「返杯」という文化について語り合い、その流れでファンもペンライトを掲げて今市さんと杯をかわしあっていた。そのうち今市さんの語り口は、親しみやすくフレンドリーに砕けていた。ダンサーの方たちは前日入りをして、地方巡業のあいまに食事などを楽しんだと語っていた。ここで今市さんはLDHの他のグループも高知に来たことがあるのかと尋ねていたがこれはたしか私が松山市民会館で初めて今市さんをみたときにもお客に質問していた項目だった。二階も遠そうで近いねと、後方の客への気遣いも寄せていた。というかこのやりとりは山下健二郎さんの持ちネタだという。後から知った。いずれも、今市さんの喉から、自分自身の生きた言葉としてこぼれてくる、他愛のない、等身大の会話だ。この言葉を話せる日がきたらいいなあと思うときにうかぶのは、そう、FANTASTICSの……という部分は割愛します。
このあと質問コーナーがつづき、ファンとのやりとりを楽しまれていた。おおむね憶えてますが割愛します。質問のなかでは、今市さんが「ひざを傷めたことはない。傷めたことがあるのは腰と足首くらい」と語られていたのが印象に残った。あのやわらかい膝は無茶しているわけではないのかと思った。「オープニング映像の撮影には10時間くらいかかっている」といった話にも興味深く聞き入った。
ファンの方が「隆二くん、大好きです」と愛の告白をしたところで、「Sweet Therapy」withファンである。アルバム『LIGHT>DARKESS』より、今市さんが何のためらいもなく強い匂いを醸す歌だ。この歌において、ファンを板の上にあげて今市さんと濃厚な愛をかわす演出があるらしい。それを知ったとき、この歌詞でそんなことをやるのか…と、驚愕したものだ。けれど、結論として板の上で起こっていることは、誰にとっても温かで、そして安全だった。あらかじめ募って合意をとっていることも理由だし、例えば、この歌をうたうまえに、今市さんは「上のほうも見えていますよ」と気遣っていたりする。こうしたこまやかな気遣い、この会場にいる誰をも愛してくれている、そんな安心感がすみずみまで行き渡ることが、ファンと今市さんが愛し合うのを心より祝福しながら見守れる所以なんだなと思った。三名のファンはそれぞれソファ、バーカウンターのチェア、そしてさきほど「ROMEO + JULIET」でロミオとジュリエットが愛し合ったバルコニーにみちびかれていた。歌がはじまると、今市さんは歌にのせてお客さんにひとときの恋をして、バルコニーに座っていたお客さんは今市さんに後ろから抱かれていた。そしてばらの花?のようなものを送られていた。一人目を愛し終わったあと今市さんは、バーカウンターで待っているファンのもとへ向かって、彼女の隣に座った。歌を歌いながら、今市さんは、彼女の頬にそっと手を添えたあと、髪にもふれ、いとおしそうに撫でていた。そして彼女にも一輪のバラをささげる。あともうひとり、ソファでファンが待っている。今市さんは歌いつづけながらソファに沈む彼女に迫った。そして動揺しきっている彼女の肩を抱いたあと、大きな胸のなかに招いていた。ソファの背からバラの花が手品のように現れて、今市さんに抱きしめられた彼女に送られていた。そして彼女たち三人には、今市さんとダンサーによる歌とダンスという最上の贈り物が贈られていた。
この一連の恋の宴を見て、私は、コンサートじゃなくて結婚式に来たのかな?とおもった。客席のみんなも昂奮しきっており、今市さんがファンを愛する様に渾身の言祝ぎをおくり、のぼせあがっていた。ファンの誰もが今市さんに愛されている証拠だ。
そうした愛情の時間の幕が引いたら、今市さんはお客に向き直る。
彼曰く、今年はデビュー14年だという。たかだか2年程度のファンの私は、その途方もない時間に想像を馳せてみるが、とうてい及ばない。ここで今市さんは、自身が歌ってきたバラードの数々においてキーとなる三曲を選曲したと語る。オーディションで歌った歌と、師匠の歌、そしてもう一曲。「レイニーブルー」、今市さんの師の曲、そして「これが運命なら」とつづいた。レイニーブルーはイスに座ってうたいあげていて、まぶしいほどの照明のなかで、圧巻の独唱をみせる。
英語で歌う今市さんを見ていると、強くはないが弱くもない人だなと思った。普段は赤ワインのような人だなと思うけど、花のようだなといえなくもないが、その花は濃くもなければ淡くもない。色気というけど、それはわかるけど、人間としての色は感じるけど、気配に煽情的なものは、あるようで私はかんじない。切なくはある。なんだろうな、人間、やさしさ、愛、これを愛というのかなあなどと遠い席から考えていた。
「これが運命なら」という歌はピアノの旋律がうつくしく、儚いとはこういう人じゃないといえないのかもしれないと思った。物語のような人。遠くからでも今市さんの存在がはっきりわかるのは、体の輪郭が強いからで、それ自体は鍛錬のたまものだが、強くて苦しくてやさしくて、ずっと思ってたのだが、やっぱりジェンダーの境目をあいまいにして、人間であろうとしている人なのかなということだ。今市さんは彼らしいストレートな一曲を歌い終わって、静かに去った。
これ以降と第二幕と言っていいのだろうか、薄い幕にダンサーの方達と鉄塔のシルエットが見える。ここからコーラスのメンバーたちの時間で、彼ら彼女たちのシルエットもうつってかっこいい。コーラスメンバーたちから、手拍子が求められる。ホットでかっこいいオーヴァーチュアとともに、「FUTURE LOVERS」である。スクリーンには椰子の木がうつっていたような記憶がある。「FUTURE LOVERS」とタイトルも写し出されて、再び登場した今市さんは粗めのオンスの黒いデニムのセットアップをきて、レトロエレクトロなポップミュージックともに懐かしいムードのダンスを洒脱に踊っていた。イントロの演奏がとてもかっこよかった。今市さんは相変わらず膝を自在に使われていて、ステップもしゃれていて、きれいな型を使い、シルエットもきまりきっていて、型の使いこなし方や鍛錬に長けていなかったらださくなってしまうだろう振り付けを華麗にこなしていて、今市さんのソロ楽曲のなかでもひとつのシンボルである「FUTURE LOVERS」をキメきっていた。
つづく「Kiss & Tell」は気だるい遊びのようなリフから始まるひどくおしゃれでアンニュイな歌で、暑い島国の夕暮れどきに飛ばされてしまうようなナンバーだ。今市さんはスタンドマイクを駆使して歌っていた。この歌では手でハートをつくって愛を表現するなどのストレートな振りが目立っていた。「マリヴコーク片手に」というフレーズでマイクをとり、花道で小粋に踊る。すると今市さんはおもむろに客席に飛び降りて、お客のもとへ逢いにゆき、一階を大胆に横断していた。二階後方からも今市さんを幸せそうに見守るファンたちのとびきり満たされている表情がよく見えた。いつか東京ガーデンシアターでコンサートを拝見したとき、会場一番端から、これじゃライビュと変わらんなと思いながら、コンサートからはじかれながら見た体験を今も苦い思いとともに抱き続けている。けれど今日はそんな疎外感はただのひとつもなかった。今市さんがお客全員を愛していることを、今日ようやく理解できたからだった。舞台にもどった今市さんは腰を深く落とした美しいステップを踏み、バンドメンバーもコーラスも隊列に加わって踊る。心から唸るほかない歌であった。
「Talkin' bout love」という、レトロでありながらしたたるような心地よさにあふれた歌では今市さんはさらに深く沈んで行く踊りからみせてゆく。膝の使い方が実に濃厚だ。柔らかい膝をふんだんにつかいながら、この歌はお客もダンスで参加できるナンバーであり、そのことを知った私は事前に自主練を重ねてきたので、問題なく踊れた。踊りやすい振りだ。これに関しては、FANTASTICSがファンに踊らせている「タルトタタン」や「Easy come, easy go」のほうが難しいと思われる。今市さんは重心が落ちているのに羽のような踊りで、今市さんを中心にダンサーが放射状に広がって踊ったあと一列に変わる隊列などに目を見張った。力みの抜けた踊りをみせているのに、特別効果を使わなくても火が噴いているような勢いがあった。ハッピーなハンドダンスのなかに凄みを孕ませて、音楽は「THROWBACK pt.2」へと続く。
今市さんの踊りには、フレームから端正にとって完成度を高めているダンスと、踊りの要点を華麗にキャッチして力を抜きながら舞うダンスの2種類があるとみた。この「THROWBACK pt.2」は後者である。つまさきとひざで、ポイントを小気味よく取るタイプの歌だった。衣装のひざに穴が開いているので、近くの席だとひざの使い方の巧みさがよく観察できると思う。要点をとっていく踊りは結果としてシルエット重視となり、その姿は一枚の古い写真のようにヴィヴィッドである。ダンサーがお辞儀して腕を揺らすといったような振り付けも印象に残った。
そして歌曲とショウとファンへの愛のメッセージが全て詰まったショウタイムもそろそろ終盤を迎えて、今市さんは「Star Seeker」という歌のまえに、チャリ掛けを飛ばすファンを愛情深くさばきながら、あるメッセージを残し始めた。
今市さんは「かけがえのない日常」という言葉を幾度か使った。年齢を重ねて起こる、周囲の友人や仲間達の結婚やこどもといった変化。それを今市さんは、なんて平和なんだろう、と、噛みしめたという。今市さんは言葉を重ね続ける。日常はあたりまえのものだと。毎日くるものだと。なにげなく仲間と過ごしている時間は尊いもので、かけがえのない日常なんだと、訥々とこぼした。
ここで今市さんは語る。
「世界では戦争があったり、地震があったり、日常がいつ奪われるかわからないので、かけがえのない日常をフォーカスした」
そう零した今市さんはアルバム「GOOD OLD FUTURE」-"古き良き未来"を祈る曲にあふれた澄んだアルバム-より、「Star Seeker」という歌に入る。濁りのない質素なピアノ、素直なメロディ。鼻にかかったやさしい祈りのレチタティーヴォ。
戦争。
今市隆二という青年が明確に発したその言葉を踏まえると、シンプルで正直な詩で彩られたポップバラードソングに、彼が抱くポリシーが読めてくる。この人物は、ノンポリで芸能の世界を渡り歩いている男ではない。たった一人の人間が、責任をとりながら歌われている歌だ。自分と所属の会社と自分のファミリーだけが幸せならそれでいいわけじゃない。楽しいことも幸せなことも、世界を無視しては成し得ない。違和や怒りをちゃんと歌にして祈り、優しく祈り、怒らなければできない。その視座があるからこそ歌えて、踊れて、装飾がなくともありのままで輝いて、だからこそ理念を込めてつくられた特別なブランドのオートクチュールを纏えばメゾンの意義を立ち上らせられる身体をもっているわけだ。しっかりと生きているごく普通の、素朴な一人の人間でないと成し遂げられない芸当のかずかず。日本のすみの地方も、今市さんが到達している大きな世界のひとつだ。
今市さんはその飾らない瞳で、地方会館の小さなホールをあますところなく見渡した。ショウの合間に、今市さんは幾度か挟んだ。「上のほうまで見えていますよ」、何度も客をそう気遣った。私はその言葉をきいて、「だろうな」と思った。あの目には全部見えているのだろう。とってつけたようなファンサービスには到底思えない。「Star Seeker」のラストで、上階のすみからすみまで拾い上げる濃厚な視線。こんな目を私は知っている。似たような目を持つ男を私はもう一人知っている。そう、FANTASTICSの……という部分は割愛します。一人のふつうの人間、今市隆二が歌い、踊っているにすぎないんだ。そんな事実に辿り着いたとき、コンサートは終わっていた。
今市さんに、すぎた言葉は使えないなと思った。使ってはいけない。人がうむそのままの輝きをただ受け取ればいい。ギラギラしてもいなく、オラオラしてもいない、一人のお兄さん。ありがとうございましたと敬語に戻った今市さんはお客を今一度すみずみまでじっくりと見つめている。
ほんとうに普通の、一人の人間だ。いつも私はFANTASTICSに「ふつう」だと思っていて…という文章も割愛しました。
客席のあちこちからアンコールを求める声が飛んだとき、バンマスの人が指揮をしているのが見えて、とてもチャーミングだった。
ファン達が今市さんを呼びながら待っていると、やがてスクリーンに、ペンライトの光をオフにしてほしいといった注意事項が映った。
アンコールの一曲目にして、RILY'S NIGHT/LOST"Rにおける「核」となるステージ。
「Don't Give Up」である。
このナンバーも「GOOD OLD FUTURE」というアルバムに収録されており、CDで聴いていると、今市さんの声のやさしさが朝波のようにひろがっていくおだやかで気の利いたリズムがけだるい体を醒ましてくれるような、完成度の高いブルースだ。しかし今日は、思わぬ大きなイメージに包まれていた。
「Don't Give Up」のもつ世界を広げていたもの。
それは、とても素朴で正直で、当たり前のものだった。
大きな自然である。
まずスクリーンには、大波がひろがる。波そのものがわかりやすくうつっている。なので、スクリーンにうつされた自然のなかで歌うこととなった今市さんとダンサーたちが、大海であらぶる波にあらがっているようにもみえる。そして海面は夕焼けの光りに照らされ始める。スポットライトのもとにいる今市さんは炎みたいな姿でそこにいて、命そのもののすがたで歌いつづけている。大自然がそっくりそのままスクリーンにうつって、今市さんが「Don't Give Up」のさびをアリアのように歌い上げればスクリーンには青い炎が揺れた。滝が映り、雨が降り、ダンサーを雨粒に見立てたような演出もあった。夜から朝へむかう宙の色に、雲。凪いだ海は私が暮らす瀬戸内の海のようだ。私は海のそばに住んでいるから、今市さんの歌う夕暮れの凪いだ海を、私は毎日見られる。誰にとっても違う海、違う川があるとおもうが、このときの私は、自分がみてそばにいつもある景色を思い出すことになった。スクリーンでは水面、川面だろうか、そこに波紋がひろがっている。雲海に、鳴門の渦のような荒波。そして今市さんは水の中へ深くしずんでいく。ダンサーは滝のなかで踊り、今市さんは海のそこで歌う。そして最後、客それぞれが生きてきた景色は消えて、今市さんは、体ひとつで全てを歌った。
マイクスタンドからマイクをとりあげて、大アリアを見せた。
海、水、空、波、宇宙。
このモチーフを採択して歌と踊りでそこへ挑んだ連中が、他にもいる。
FANTASTICSである。
ということを長々書いてたのだが、割愛する。
ただ、ここで、ひとつだけFANTASTICSネタを突っ込んでみる。
今市さんの踊りには、ある象徴的な振りが随所に存在する。それを私は今回、ライブ鑑賞記で、あえて書かなかった。けれど随所に、ある特定の振り付けが見られた。このタイプの振りは、今市さんにあって現時点でのFANTASTICSに存在しないものだ。
ここでだいじなのが、FANTASTICSにそれが「ない」のではない。
FANTASTICSが「持っていないもの」ではないのだ。彼らがそれを「できない」のではないである。
FANTASTICSが、おそらく、非常に注意深い意図において、このタイプの振り付けを選んでいないのだ。
FANTASTICSがあと5歳くらい年齢を重ねたらそれをやるかもしれない。およそ、やれる年齢がそれくらいだろう。しかしFANTASTICSは、今の時点ですでに違う方法でおよそ今市さんと同じことを踊りで表現している気がする。そして、成功させ、それがFANTASTICSの個性として存在していると思う。
話を「RILY'S NIGHT/LOST"R" 」記に戻す。
「Don't Give Up」という大アリアを終えた今市さんはお客にたずねる。「楽しんでもらえましたか」と、少しシャイだけどつややかな声音で弾むように問いかける。まるで先ほどまで大自然と戦っていた男とはおもえない、あどけない笑みで、剥き出しでつややかで、つるりと満ちた一人の人。今市さんは語ることをやめない。「はー、楽しかったです、ライブ」そうぽつりとこぼす。「あらためて、ライブはいいなってかんじるし、ライブ的なことってすごいよねっておもうし。不安が解消されたり…、直接的に自分が何もできないかもしれないけど、形のない、音とか、パフォーマンスをやって、何か感じてもらって帰ったら。なんでもいいですよ。明日から頑張ろうでも、なんでも…」
そんな語りをのこして、「星屑のメモリーズ」で、この夜は本当に終わった。この歌では、今市さんが客席にマイクをむけて、お客に大切な歌の一部を託す時間がある。私もいっしょにコーラスさせていただいた。
今市さんは再び、深い目で客席を見渡した。ダンサーが膝をついて、バンドメンバーをたたえている。幕が下りる瞬間まで今市さんはお客を見つめて、瀟洒な投げキスをおくっていた。最後に、今市さんのくれた愛情をもう一度彼に返すように、お客さんたちが拍手をしていた。まだ今市さんに何かねだるような拍手じゃなくて、客席にあふれている愛情をもう一度今市さんにお返しするための拍手だった。
ということで、ふだんFANTASTICSを応援している私は、ときどきこうして今市さんのソロ活動にお邪魔し、そのたび、ファンと今市さんの編む時間と芸能そのものというほかない素晴らしいショウビズにいたく感動している。
このたびも、ファンの方達と今市隆二さんが長い時間をかけて編み続けた時間に土足でふみこみ、このような失礼な文章を書いたことをお詫び申し上げます。
8月の福岡、「RYUJI IMAICHI LIVE TOUR 2024 “R”ED」にもお邪魔をする予定です。とても楽しみです。
ライブが行われた高知。高知めいぶつ「日曜市」のにぎわいを添えて。