しばらくの間、家で書き物をする生活が続いている。外に出るのが億劫で、年末が差し掛かる頃は食事も摂らずにいた。しかしそれも、大晦日から年始にかけて家族がこちらに来ていたお陰で、やっと1日3食のリズムを取り戻しつつある。昨日も昼過ぎの空腹から、少しコンビニまで散歩に出かけた。
路上喫煙禁止。近所ではそんな看板が立ち並んでいる。第一、室内も禁煙、路上も禁煙ときて、喫煙所は絶滅間近。どこに吸う場所が残っているのだろう。そんな迷いをよそに、目の前の男性は建物と道の境目、階段に半分足を掛けた状態で煙草を手にぼんやりと立っていた。立ち上る煙。紙タバコだ。男性の傍には煙草の匂いが漂う。道を通りすぎると、その匂いに、私はかつての実家を思い出した。私が上京して、いつからか父親は電子タバコに変えた。電子タバコは匂いが控えめだから良いという。でも、私はあれが苦手だ。なんだかすっかり人工的。ライターの火も煙の匂いも消えてしまってから、実家はひどく変わった気がする。言いがかりのようだけど、私はそう信じているのだ。だから今でも煙草の匂いが大好きで、それを半分信仰のようにしている。
コンビニの帰り道、ふと自販機が目に入った。コーヒーを買おうと思って自販機に近づく。何かがおかしいことに気づく。まず、大量にお釣りが残っていること。そして、飲み物さえも取られぬまま、取り出し口に残されていること。興味本位でお釣りを見てみる。950円。これを買おうとした人に、いったいなにがあったのだろう。ボタンを押して、買った直後にパッと消えてしまったとか。そんなわけがあるか。そういえば去年の1月の初めも、自販機に大量のお釣りが残っていたことがあったな。何かの拍子に忘れてしまったのだろうか。年始だし。
帰宅して、まだ執筆に取り掛かる気も起こらず、私は小説に手を伸ばした。深く本を読むきっかけをくれた作家さんの長編。久しく積読にしていたものだ。彼は独特な文体と世界観が特徴で、人によっては理解に難いと言われる、そういう類の作家さん。ページを捲ると、1行目から彼の世界観が全力で溢れてくる。アクセル全開で振り回されるこの感覚。集中して文字を追っていなければ、話においていかれてしまう。懐かしい。しばらく読み易いものにばかり手を出していた(これは話がおよそ俗的で、文章の流れの予測がつく、という意味で。何より私はそういう話も好きである。)から、この感覚を久しぶりに取り戻した。
小説の中では、幼い主人公が、煙の中から身体の一部が”見えない”人々がそろそろと湧き出てくるのを、橋の上から眺めている。
私は、忘れたくないな、と強く思った。