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9月映画の会『急に具合が悪くなる』

こめたべ
·
公開:2026/9/17

7月に観たので今さらすぎる感想。8月の映画をおすすめする会で紹介しようと思っていたが、私の体調が悪くなったため、9月に持ち越した。まだ上映してる映画館もあるみたい。だいぶ感覚的な感想。ネタバレあります。

あらすじなど:濱口竜介監督。2026年公開。哲学者の宮野真生子と文化人類学・医療人類学を専門とする人類学者の磯野真穂が「病」や「生と死」について交わした往復書簡を原作とした映画。舞台は、パリ郊外にある介護施設「自由の庭」。施設長を務めるマリー=ルーは、入居者の尊厳を守ることを理想としながらも、人手不足やスタッフの理解不足など、介護の現場が抱える問題に悩んでいる。そんな彼女が出会うのが、がん闘病中の日本人舞台演出家・森崎真理。真理の演劇に触れたことをきっかけに、二人は交流を深めていく。

196分というかなり長尺の作品だが、一瞬たりとも見逃したくないと思いながら観ていた。この映画は、基本的には会話劇。大きな事件が起こるのではなく、ふたりが言葉を交わし続ける。その積み重ねによって、ふたりの置かれている環境や考えが少しずつ変化していく。シスターフッド的な側面もある。国籍も立場も異なるふたりの女性が、言葉を交わしながら、お互いの人生や仕事、社会、身体、病気、死について考えていく。

原作が往復書簡であることを考えると、「人と人が言葉を交わし、交流すること」そのものが作品の中心にあると思った。人は人と触れ合うことで、自分自身の輪郭を知るのではないか、と思った。

人間が他者と関わるというより、誰かと出会い、話し、影響を受けることで、それまで自分でも気づいていなかった自分の形が浮かび上がってくる。そして、人が集まることによって、今ある状況を少しずつ変えていくこともできるのではないか。そんな静かなメッセージが、映画全体を通して流れているように感じた。

介護施設は、そこで生活する人にとっての「家」だけど、外から見れば閉じられた場所でもある。しかし、この映画では、その内側と外側の境界が少しずつ曖昧になっていく描写がある。

演劇を上演する場面があり、介護施設でも上演する。介護施設そのものがひとつの劇場のようにも見える。映画そのものがどこか演劇的に感じられた。施設という「舞台」の中にいる人々と、その外側にいる人々。演じる人と観る人。ケアする側とされる側。そうした境界線が、登場人物たちの会話や出会い、行動によって少しずつ曖昧になっていく。

マリー=ルーと真理のふたりで、朝日を見る場面が本当に美しかった。病気や死を取り扱っている映画なのに、悲壮感だけではない。誰かと同じものを見て、同じ時間を過ごすことそのものが、かけがえのない経験として描かれている。

最後の散骨の場面もよかった。開放感がある美しい場面。今までこの映画が描いてきた、人と人とのつながりや、生きていることと死んでいくことの境界が曖昧になることにもつながっているように感じた。

観終わったあとには、人の善性を信じたくなるような気持ちになった。人にはそれぞれ弱さや矛盾がある。それでも、誰かと出会い、言葉を交わし、同じ時間を過ごすことで、世界がほんの少し変わるかもしれない。その可能性を信じたくなる映画だった。

@kometabe
観劇、映画、読書、旅行など。普段こちらにいます⇨fedibird.com/@kometabe