近所のイオンモールへ行く。
岸政彦さんの『にがにが日記』を買うため、モール内の書店に入る。3,000円以上買うとポイント3倍キャンペーン中だったので、せっかくならともう一冊本を選ぶ。
つい最近読んだケイシー・マクイストンの新作にしようかと手に取ってみるがなんとなく違う気がして、森崎和江さんのエッセイにした。『にがにが日記』と合わせて税込3,080円。会計が終わり書店を出て振り返るとキャンペーンの貼り紙には "税抜き3,000円以上" の文字。レシートを見るといつも通りのポイント付与。
やってしまった。税込み価格なのか税抜き価格なのかどちらだろうと頭をよぎらなかったわけではない。でも税込み価格だろうと思い込んでしまったのである。
私は臆病な割りに慎重さに欠ける節があり、脳裏に過ぎる懸念を無視して突っ走ってしまうことが時々ある。そしてその度に、ちゃんと確認しておけばよかった…と後悔するのだ。
悔しい。あともう一冊、もう一冊と一生懸命選んでいたあの時間は何だったのか。しかも最初手に取っていたケイシーの新作にしていればポイントは3倍だったのである。何故変えてしまったのか、自分! というかレジの店員さんも教えてくれたってよくない!?あと数百円分でポイント3倍になりますよって!今の金額では足りませんけど大丈夫ですかって!いや大型書店でそんなことお客ひとりひとりに一々やってられないし、悪いのは確認を怠った私なのだけどさあ……。悔しい。ポイント3倍は大きすぎる。
しかしポイント値引き制度なんてものは販促のために店側が良心でやってくれている事であり、ましてや本の価格は一律で料金を上乗せすることもできない。店側が身を削って提供してくれているサービスなのだ。私が小学生の頃は書店のポイント値引き制度などほとんどなかったし、それが当たり前だった。ポイントなんて無いのが通常なのだ。そうだ、そうなのだ。自分を宥める。
映画『PERFECT DAYS』を観る。ポイント3倍ショックに思考を支配され、映画を楽しむことができないのではないかと不安だったけれど、好みど真ん中の作品だったこともあり観賞中に三度ほど思い出す程度に留まる。
映画のあと晩ご飯を食べて帰ろうとモール内の飲食店街をうろつくが、どこもラストオーダーの時間だったため帰り道にあるラーメン店に寄る。
マウスピースを外したくてトイレを探すがどうやら店内にトイレはなく店外にある少し遠いトイレを利用しなければならなかった。イオンモールのトイレでマウスピースを外してから帰ればよかったなんて考えながら、一旦店を出てトイレへ向かうべく信号待ちをしていると、バイクに乗った男性に話しかけられる。
「財布を落としてしまった。ガソリンを入れたいから1,000円恵んでくれませんか。」
早く立ち去ってほしくてその場をやり過ごすため財布を取り出すと男性は「できれば2,000円……」と金額を上乗せしてきた。どあつかましいなと感じ「いや1,000円で」と言って1,000円札を差し出す。「ありがとうございます」とお礼を言われ男性は走り去るかと思いきや、去らない。何故!?と男性の進行方向を見ると信号が赤だった。私に話しかけている間に赤になったようだ。しかし私が待っている信号も依然として赤信号のまま。こちらの信号が青に変わるまでの20秒にも満たない時間が、恐ろしく長く感じられた。
たかが1,000円、されど1,000円。男性に頼まれるままにお金を渡してしまって本当によかったのだろうか、騙されていたのではないだろうかと考えながらトイレでマウスピースを外しラーメン店へ戻る。店員さんが「おかえりなさい。寒いのにわざわざすみません」と笑顔で出迎えてくれて、思わずじーーんとする。
お財布を落として困っていたのが本当だったとしてもスマホがあるだろうに、誰かに連絡してお金を持ってきてもらうことはできなかったのだろうか。この時間にわざわざお金を貸しに外へ出てきてくれる知人はいないのかもしれない。そもそも男性もこの近辺に住んでいる人ではないのかもしれない。交番へは行ったのだろうか。交番へ行けば少しはお金を貸してくれるはずだ。それともこのままバイクに乗って財布を探しに行きたいから料金を上乗せされたのだろうか。シンプルに舐められていたのだろうか。やっぱり2,000円渡してあげればよかっただろうか。後悔すると同時に、あの1,000円があれば今ビールを飲むことができた、はたまた文庫本一冊買うことだって出来たと惜しいきもちが湧いてくる。こんなことなら無理ですと逃げてしまえば良かったのかもしれない。
そんなことを悶々と考えながらラーメンと餃子を食べきり席を立つ。先ほど笑顔で迎えてくれた店員さんが、「ありがとうございました」と笑顔で見送ってくれる。店員さんの笑顔と声かけが心に染みる。ありがとう… あなたの笑顔がツイてない私の一日に降るたったひとつの希望です… ありがとう… 私の心をあたたかくしてくれて…… ありがとう… ラーメンにれんげついてなかったけど……。
少しきもちを浮上させながら、バイクの男性がもう近くにいないことを確認し自転車を走らせる。
どんな理由であっても夜道で知らない男性に声をかけられるのはこわい。車通りは多いが人通りの少ない時間帯だった。走る車に助けは求められず、たまたま車道から声をかけられそうな場所に人が立ち止まっていて、たまたまそれが女性だった。それだけなのかもしれない。けれど、男性はもう少し自身が見知らぬ女性に(しかも夜に)声をかけるということの暴力性と非対称性を自覚してほしい。想像してほしい。
お財布を落としたというのは嘘でただの不審者かもしれない、断ったら襲われるかもしれない、財布を出したら財布をひったくって逃げていくかもしれない。(そのため財布を出す際わたしは男性から距離をとった) あるいは目的は金ではなく性加害かもしれない。男性と対峙している間、彼の話は真実かもしれないとにわかに信じながらもずっと怖かった。早くいなくなってほしいと願い続けていた。夜道で女性が男性に接触されるということはこういう危険を孕んでいるのだということを、もうすこし考えてほしい。
数時間前に観た映画では役所広司が遊ぶ金がほしいと喚く若い同僚にその時財布に入っていた紙幣すべてを手渡していた。12,000円だったか、21,000円だったか、もしかしたら30,000円だったかもしれない。あのお金が返済されることはないだろう。それに比べたら私の手渡した1,000円という金額は痛くも痒くもなく、それだけにひどく情けない。
けれど、私はあのとき出来た最善の選択をした。渡さずに無視をしていたら可哀想なことをしたと自責の念に駆られていただろうし、2,000円渡していれば嘘かもしれないのに渡してしまうなんてと後悔に苛まれていただろう。1,000円がきっとちょうど良かったのだ。「できれば2,000円……」と言われても「いや、1,000円で」ときっぱり断ることができた自分は立派じゃないか。これで良かったのだ。そう結論づけてきもちを晴らす帰り道、刺すような冬の冷たい空気が心地良い。
何事もなく無事に帰宅できたことに安堵しながら、男性もガソリンを入れて無事に帰宅できていることを願う。ついでにお財布も見つかるといい。