確かなあなたへ

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公開:2024/11/21

 おもえばずっと「家族」と呼ばれる共同体のことを憎んでいただけだったのかもしれない。

 小学生から中学生くらいにかけての、「家族で出かけているところを同級生に見られると気まずい」みたいな状態のことをその時期特有の、いつか過ぎ去るものだと思っていたけれど、じつはそれが一過性のものではなくて深くわたしの中に根差した感情だったということに、最近ようやく気づきつつある。

 「家族」を自称することが好きではなかった。好きではないから「うちは」「うちの家族は」という名乗りは滅多に使用しなかった。同時に他者から、さもそういう共同体が存在するみたいな呼ばれかたをするのも嫌いだった。なぜならそれはわたしが選んだ場所じゃないから。この世に生まれ落ちた瞬間から勝手に決められていただけだから。そんな場所に帰属意識なんてないし、そんなものを共同体として認めることなんてできない。なぜ自分がそんなところに置かれているのか、なぜそれを受け容れなければならないのか、ずっと不思議だった。でも「不仲」だというわけではないのだ。たぶん。暴力を振るわれてきたわけでも、暴言を吐かれてきたわけでもない。無視されていたわけでもない。ただ勝手に輪の中に置かれているという状態がいやで仕方なかっただけ。

 同級生たちが「思春期特有」のそういう感情を手にしつつあるとき、わたしはよくわからないままそのいわゆる「逆張り」をやっていたことがあった。つまり「家族仲がいい」ことを半分ネタとして話題にするのだ。「えー仲いいね」と驚いたように言われることで「子ども」であるみんなよりちょっと優位に立っているような気になっていた。じっさいおとなになれば「家族仲がいい」ほうが人として好ましいとされるのだから、そういう場面もなくはなかったと思う。それこそ思春期特有の「迎合したくなさ」の現れでありその内容にとくに意味はなかった。


 それがちょっと変化したのは高校に入ってから、フェミニズムに出会いクィアとしての自覚が芽生えた時期だった。この世に蔓延る差別の存在を認識し、政治への怒りを燃やすようになってから(ひととして「よりよい」変化を積んでから)、「そうではない」隣人へ意識を向けることが少しずつできるようになった。

 同居家族と食卓で政治の話をすること。同居家族が当たり前のように日本共産党を支持していること。自民党政治への不満を口にできること。そもそも同居家族が毎回ちゃんと投票に行くこと。政治への関心を「人並みに」もっていること。またわたしがヘテロロマンティック・ヘテロセクシュアルを装わなくてもいいこと。それは決して「当たり前」の状態ではなくて、わたしが生まれながらに得ていた優位性、つまり特権だった。特権なのだ。生まれた家の中で政治の話をしても否定されたり無視されたり怒鳴られたりしないのは。もちろんこんなのみんなが当然もつべき権利だけど、現状はそういうふうにできていない。これに気がつくまでにけっこう長い時間がかかった。高校の図書室に籠り自力でフェミニズムにリーチすることはできたけれど、わたしはこの特権性に無自覚なまましばらく過ごしていた。

 特権の存在を自覚することができたのは、「そうではない」友人たちの話をたくさん聞いたからだ。何度声をかけても同居家族が投票へ行かない人。同居家族が地元の自民党議員を支持している人。リビングで差別発言が飛び交っているという人。家庭における容姿いじりが苦痛だと言う人。とてもカムアウトなんてできないと話してくれた人──。

 いままさに苦しんでいる多くの友人の声を聞かなければ、わたしは自分のもつ特権性を自覚することができなかった。なんと情けなく傲慢なことだろう。しかし、もしこれに気がつかないままいままで生きてしまっていたら、わたしはぜったいにより多くの人を踏みつけていたと思う。感謝したところで友人たちの置かれている環境をましにできるわけではないのだけど、一人の友人として彼女たちには礼を述べることしかできない。

 一つの側面における特権の自覚は、「わたしは他の場面でもだれかを踏んでいるのではないか」と自分を疑うことを促す。自分は完全であるという思い込みから脱却する。そんなことはあり得ないのだから。みな完全になれないからいま立っている地点で最大限「よりよく」あろうとする、その過程こそがフェミニズムであり、何人たりともその道を閉ざすことはできないのだ。たとえ「いま」がどんなに不完全でも、「よりよく」あろうとし続ける限りそれはフェミニズムの営みだ。だれもその不完全さを笑うことはゆるされない。だからわたしたちは手を取り合い、連帯して立ち上がる。わたしたちは互いに教え教わることでしかよくなれないから。


 それはそれとして、上述の「家族」に対する憎悪は、ずっとわたしの特権に対する悔恨と並走してきた。自分が恵まれた環境で暮らしていることと、その共同体を憎むことはべつに矛盾しないはずだ。しててもいいんだけど。

 そもそも前から言ってるようにわたしは両親に対して「なんで三人も産んだの?」と思い続けているのだけど、「なぜわたしがこの共同体の一員として扱われねばならないのか」という不満も同じく「選んでいないのに」という気持ちによるものなのだろう。まあ自分が生きていること自体選んでないのになんで? もずっとあるけど。これは気分の落ち込みの問題じゃなくてシンプルに事実なので両親には一生涯後悔してもらわないと困る。どう考えても見通し甘すぎるから。わたしはなにもしてないだろ。勝手に産んだ上でどんどんわたしにかける金額を減らしていったのはそっちだ。

 自分がこうである以上わたしはぜったいに子を産むという選択肢はとらないな〜と思う。出産ね。養子をとるなどして子をもつこと自体はまたべつ。出産は子を作る人「たち」が「勝手」にやることだから、わたしはやらない。自民党が滅んでたらわからんけど。でも生きててよかった、自分を産んだ人たちがその選択をしてくれてよかったと思える社会ってマジで想像できないから、そうなってからじゃないと考えられないな。見たことないもん。


 高校生のころからGLAYはずっと心の拠り所だった。かれらの音楽を聴いていると、TAKUROが「子どもたち」へ向けるまなざしのやさしさがあまりにあたたかく鋭利で涙が出る。この人たちはなぜこんなふうに素敵に生きて、まったくうそがないというふうにこんなことをうたえるのだろう。わたしが両親をずっと憎んでいる間にGLAYはデビュー30周年を迎え、ますます闊達でうつくしいおじさんたちになっている(GLAYは親世代より若いバンドだけど)。

 でもわたしはTAKUROの書く「子ども」が「自分の子」ではなく、わたしを含めた「自分より若い人たち」を指すのだということを知っている。よりよい社会を作り残すことができなかったという後悔が、かれをそのような詩人にしたのだということを知っている。TAKUROの、GLAYの祈りの真ん中にわたしはずっと立っている。わたしがGLAYより若い人である以上、わたしはずっと当分ここにいていいのだ。いいのだろうか。いつかここにいるべきではないと思うことができたら、そのときはこの場所を出てGLAYと同じ方を向き、わたしより若い人たちがましな社会を生きることができるように力を尽くさなければならないのだと思う。勝手に置かれた場所を憎んだままでいいよと言いながら。泣きながらキーを叩いて夜を明かした人は強くなれるだろうか。そうだといいんだけど。

@konnasekaiwo
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