飛び立ってpride & joy

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公開:2024/6/19

家族ラインに「ご飯いらない」って送らずにタイ飯を食べて帰ったら、ずいぶん自由になれた気がした。面接はなんか予想外にかなりいい感じだった。なにも準備してなかったのに。あんまベラベラ喋らないほうがいいんだろうけど、面接の内容ってぜんぶみんなに話したくなる。でも業界選びは間違ってなかったなと思った。えらいねえ。

面接を受けるために大学へ行って、ついでに授業に顔を出してMTGに参加した。マジで一ヶ月ぶりくらいだったらしい。同期にどつかれたり心配されたりして、同期、ビッグラブ……。友達いないから(友達いないって言うやつはだいたい嘘)同期のこと愛しすぎでびっくりしちゃう。ガッコが好きなやつってたいてい痛いとされてるけど、大学に四年間通うとマジでそんなふうになっちゃうのですごい。大学ってすごいのかもしれない。中高のころはあんなにガッコを憎んでいたのに。両親はわたしを心配しないけれど、同期は「こんなに大学来ないことなかったよね。大丈夫?」「元気?」と声をかけてくれる。世界でいちばんのラブだ。

毎日毎日ごめんって感じなんだけど、きのう口論の中ではじめて両親がわたしを慮るような発言をしたので書いておく。遅。それ最初に言わない!? 言えないらしい。言えないらしいのでこの話は終了、だった。なんか、メンタルが大丈夫? みたいな心配はできなかったらしいし、わたしがマッチョであるように両親もクソカスのマッチョなので、賭けてもいいけどそんな思考には至らない。そういう発想がない。大学行ってないみたいだけど気分が落ち込んだり体調が優れなかったりするのかな、とは思わない。逆にそういう状態が日常茶飯事の人にとっては信じられないことだと思うけど、そういう、クソみたいにマッチョな人はゴロゴロゴロゴロいる。あなたの学校にもショクバにもたくさんいて、フツーに生活している。わたしもそのクソカスのマッチョ人間たちの一部だ。でもわたしは(でもというか、わたしが「健康」であることの免罪符にはならないけれど)最近「気分が落ち込む」ということがなんなのかちょっとわかってきた。かといって他責ベースのマインドに変化はないが、「こうも周囲の環境がままらないなら早く全部終わってほしい」みたいな感じはある。あるというか、あった。「自分が全部悪い」とはなにがあってもいっさい思わないんだけど。

育児経験がある、あるいは子どもと関わる仕事をしたことがある人は、ガキが「心配されたい」と言ってるんだなあと思うかもしれない。でもこれは「心配されたい」ではなく、「心配するというコマンドがないんだなあ」であって、似て非なる感情だと、わたしは思っている。同じかな。違うんだよな。両親に心配しているという態度を取られると、照れ隠しではなく、嫌悪感をおぼえる。とくに学費とか生活にかんしては、テメーらのせいだよ、でしかないため。こんなに借金(ショーガクキン)が膨らんじゃってる上にこんなに娘が浪費家のちゃらんぽらんで大丈夫〜??汗 と考えているらしいけど、テメーらだろ。心配してるよ^_^; ではなくだからどうするのかしか聞きたくない。それはケアじゃない。なんか、ゆるされているつもりでいるのだろうか。わたしを心配して、慮る素振りをみせて、それでわたしが「なんで三人も産んだ?」としか考えていないことも知らず(知ってんのかもしらんけど)、わたしを諭し、叱り、それで自分たちの選択が誤っていたという事実を有耶無耶にして、ゆるされたつもりでいたいんだろうか。そもそも誤っていたとは思っていないのかもしれない。でもわかんないな。父親は「みんな(子)がいてくれてよかった」みたいなことを言うけれど、本気でそう思ってんのか、末っ子がいるところではそう言い続けるしかないのか、わたしには知る由もない。両親のことはゆるせないけれど、弟を憎みたくない。この子たちには幸福でいてほしいし、わたしがおまえらが存在しなければ……と思っていること(そんなことはなくて、ただ両親の神経を疑っているだけなのだが、弟たちにとっては同じことだろうとわかっている)は、知らなくていい。

フェミニストでいるとは、社会の中に存在するすべての勾配に敏感でいることだと思う。そこでは自分が上のほうにいるときも、下のほうにいるときもある。クィアで女性でフェミニストのアジア人であるわたしは、下のほうにいると感じることが多いかもしれない。でもわたしがニッポンにおいて両親ともに大和民族の日本語話者という圧倒的マジョリティである事実は揺るがないし、どんなに多額の借金を背負ったとしても義務教育から大学まで行けていることに変わりはない。フェミニストでいるとは、差別を許さないとは、そういう「自分と同じ属性の人々によって虐げられている人々」のことを考え、立ち上がることだ。ニッポンジンとニッポンの政府によって行われてる差別。大卒の人が大卒以外の人を買い叩く市場。そういうことを意識しながら生活するのが、フェミニズムだと思う。自分が勾配の上のほうに立っているとき、わたしが第一にすべきはその場面でわたしより下のほうにいる人のことを考え、その人たちのためにはたらき、手を差し伸べるという傲慢な言葉は使えないけれど、その状況をなんとかするために力を尽くすことだ。反対に、わたしより上のほうにいる人と接するとき、わたしはどこまでも勝手で傲慢でいてよいと思っている。自民党に対して一番望むのは勝手にすべてが消滅してくれることだけど、じっさいやりたいのは「嫌がらせ」だ。それでしかない。それしかない。というかクィアなフェミニストが生きているだけで自民党への嫌がらせなので、とくべつなにかアクションを起こさなくても、わたしは自民党に中指を立てて日々を過ごしていることになる。ガッコの先生、親、政治家、上長、そのほかわたしよりも収入と社会的立場があるシスヘテニホンジン男性、あらゆる場所でわたしよりも勾配の上に立っている人々は、クィアでフェミニストの女性で安い時給で買い叩かれている大学生の非正規労働者の勝手をゆるし、わたしのために尽力すべきだと思う。「わたし」ではなく「わたしたち」の話だ。わたしたちは求めていい。もっと傲慢に生きていい。このファッキンニッポン社会ではだれもあなたをゆるさないかもしれないが、わたしだけはあなたをゆるしている。ずっと。

そんなことを言っているから内定が出ないのだと言われたら本当にその通りである。しかしこのシューカツというカスのシステムは一から十まですべてがカスなので、わたしはそれを利用しているすべての企業を舐め腐っているべきだと思っている。そうじゃないと取り込まれちゃうよ。カスのシステムに。迎合するな。抗っていてほしい。無理そうだったら手を貸すからわたしに教えてほしい。冒頭に書いたラブの同期たちが、みんなこのカスのシステムを通過して、カスのシステムに迎合した人になってしまうのかと思うとおそろしい。みんなずっときらめいていてほしい。本当にそう思っているのだ。明日は面接のためまた授業休むんだけど。

@konnasekaiwo
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