去る六月十五日、名古屋・栄で「名古屋レインボープライド」が開催された。わたしがはじめて参加したのは一昨年で、昨年はボランティアとして活動した。今年は一般参加。インターネットの友人を数日前に誘って、バイトを突然休んで、ピャッと来た。なんか、ほんとに数日前まで存在を忘れていたくらいなのに、行こうかな〜と言って(くれて)いる人を見ると行きましょう!! になる。ふしぎだ。お付き合いいただき本当にありがたかった。

三回目のレインボープライドは、過去一人が多くてびっくりした。常にこんなに人いたっけ? って感じだったし、パレードの列は長かった。でも今日これほど人が集まるのに、同じく週末に開催されている他のデモにはそんなにいないよなあと思った。場所も同じなのにね。運営は相変わらずノンポリみが強いし、なんとトランスライツのフロートで一曲目からすぎやまこういちの曲を流すし、10-FEETの第ゼロ感を流すし(バンドに罪はないので微妙なところだけど、「アニソンフロート」と言い切ってしまっているのでこれはスラダンの曲であり、いい気持ちにはならない)勇100を流すし、普通に加害を受ける危険性もあるし、いろんな人がいる、ゆえに、どう考えてもべつにセーフスペースではない。セーファーではあるかもしれないけど。
着いてからすぐ、朝日新聞の記者の人に声をかけられた。年齢も聞いたけれどとてもお若い方だった。「電車で見かけて、もしかしてここにいらっしゃるのかと思ったんです」と、わたしのトートバッグに付いている「今すぐ停戦」「虐殺やめろ」「パレスチナ解放」と書かれたパッチを指して言ってくれて、わたしたちはとても喜んだ。まっすぐ目を見て話を聞いてもらった。ご出身は名古屋ではないらしい。わざわざこの街へ来てくれた同世代の、マスメディアの中の人がこうしてクィアの権利に寄り添い、パレスチナに連帯している。希望だ。わたしの本名丸出しの記事は検索すると出てくるよ。
また、制服を着た高校生の集団も何組か見かけた。マジで希望である。ありがたい。ありがたいと言っている場合ではないのだけど、ありがたく思ってしまう。高校生たちもみんなbabyだけど、ほんとのbabyたちも多く見かけた。フォロワーが「われわれの世代に『おとな』がしてくれなかったことを、われわれがやっていかなきゃいけない」と言っていて、そうだなあ、と思った。わたしたちはわたしたちより先の未来のために権利の回復を求めている。いまを生きる、これから生まれてくる、ちいこい命たちのために全力を尽くす。生まれることも生まれる場所も選べないファックな社会で、生まれてしまったわたしたちは、生まれてしまったきみたちのために生きる。いつかきみたちにそれが伝わればいい。伝わらなくてもいい。そして自民党を倒し、家父長制を粉砕し、ともによりマシな社会を構築するために力を貸してくれたらうれしい。
パレードは、前述の通り人が多かった。わたしは「俺様トランスパーソンたちに連帯するレズビアンのフェミニストだぜ」みたいなことを書いたプラカとトランスジェンダーフラッグ、レズビアンフラッグをもって、動画を録るなどしながら、列の一番外側で沿道に手(旗)を振りまくりながら歩いた。デモあるある:腕が足りないになった。わたしはわりとマーチにおいて「ご通行中のノンポリ人間のみなさ〜〜ん!!!」というマインドをセットして、マスク越しに(マスクを、着けろ)ニコニコしながらこんにちは〜! ありがとうございます〜! と言ってしまうほうで、でも「言ってしまっているなあ」と思うような感じでもある。隣を歩くフォロワーは(去年のウィメンズマーチの前にわたしがチョキチョキ作った)プラカを沿道に見せていて、見せているという感じで歩いていて、よかった。わたしのプラカがそういうふうに使われているようすを見せてもらえてうれしかった。沿道で見守ってくれていた人がスッ……と手持ちフラッグを取り出して見せてくれる、と激アツの瞬間に何度か出会って、これやりた〜い!! と言い合った。予想外のところから出てくるクィアライツ擁護プロダクツがいちばんうれしい。これがいちばんうれしい状況ってなんだ。
「陰パ」こと「陰気なクィアパーティー」にも顔を出した。パレードを歩いていたら沿道に「ジェノサイドにプライドはない」などのプラカを掲げた最高の集団がいて、その人たちに名前を呼ばれてはじめて全員知ってる顔であることに気がついて、あとで行きます! とDMを送った。地元・最高クィアフェニミストたち、いつもありがとう。これからも末長くよろしくお願いしたいが、お願いしなくても済む社会のほうが必要である。
昨年同様ジャンショにも行った。昨年ボランティアで参加したときの写真を見返したら及川徹のパネルがフラッグに向かって拳を突き出しているものがあって、その後ハイキュー!!を読んだわたしは写真を見返して非常にはしゃいだので、今年もこれをやろうと思った。しかしジャンショはもうオアシスにないのであった。ないので、矢場町までトコトコ歩いた。これはオアシスにあったころのジャンショ。

ハイキュー!!を読んだわたしは、ジカプの攻めこと黒尾鉄朗くんにレズビアンフラッグとトランスジェンダーフラッグを見せつけることに成功した。黒尾くんは都内で育ちいい大学を出ていいショクバに勤めているシスゲイ男性(29)なので、さすがにTRPにブチブチ言いながらパレスチナ国旗のグッズを身につけていてほしい。彼氏はこのへんに住んでいるのでNRPに来ていたはず。オタクはなにも買わなくてもジャンショで大騒ぎできるけど、全身レインボーなのでいつもの百倍楽しかった。買い物もした。

かぶってるジャンルがテニスだったので、一生テニスのクィアリーディングの話をした。アロエッチェで忍足のことが大好きな白石と白石のことが大好きな忍足、忍足のことが大好きな財前。「そんな男やめときなよ」待ちだから白石では満足できない不二。地方のプライドイベントに出資して足を運ぶ跡部。てかみんな金がありすぎですごい。ハイキュー!!の「リアルさ」とはぜんぜん違う清々しいまでの金持ちズがテニスをやっている漫画である。白布がストレートで医学部に行ったことにあんなに文句言ってたのに、忍足くんたちはフツーに、当然のように医者になる。さすがに全員いろいろ意識をもって社会貢献を頑張っていてもらわないと困る。
そんなことを言っていたらきょう(きのう)また親と揉めた。またというか前回と同じ話題なのだからその内容はどうでもいいんだけど、なんかひどいことを言われた気がする。母親は「そういう汚い言葉を使いながら自分が作った飯を食うな」という旨の主張をしていた。
高校三年生の、わたしがフェミニズム赤ちゃんだったころ、夕食を食べているとき父親に「差別差別って言うけどそっちのほうが差別なんじゃないか」みたいなことを言われて、声も出さずに泣き続けた日のことを思い出す。いまだに思い出しながらボロボロ涙が出てくる。でも、そういう話を食卓で出すことができるほどわたしは恵まれているのだ。普段暮らすイエで政治の話なんてできない人がもっとたくさんいる。そのあと行ったイベントでもだれかに「そんな話できるんだ」と言われた記憶がある。同居血縁メンバーが地元の自民党議員に投票している人、投票に行けと言っても行かない人、そういう友人がいる。たくさんいる。いるだろう、じゃなくて、じっさいに話を聞いたことがあるだけでもたくさん。かれらと比べればわたしはずいぶんマシなイエで暮らしている。不仲でもない、と言っていたけれどそうでもないのかもしれない。そうか?
母親は昔から「食卓」を神聖視するきらいがあって、食事中はテレビもつけないし携帯も見ない。見てはいけないと思っていた。一人で外食するときにYouTubeを開いてもいいのだと気がつくまでにかなり時間がかかった。授業を受けながらご飯を食べることもあるし、電話しながらお茶を飲むこともある。あたりまえのことだ。最近は前回の揉めあたりから同居メンバーとあんまり接触したくなくて、ていうか朝起きられないので夜しか会うタイミングがなく、夜退勤してから徒歩で帰宅する間はだいたいフォロワーや友人と通話していた。うそ。盛った。九割九分フォロワー。そのまま帰宅し、リビングで一人ご飯を食べる。いや、たしかにここは「食卓」ではあるんだけど、場所はね。場所は「食卓」だけど場ではないだろ。一人なんだから。リビングには人がいるけど飯食ってんのは一人。いいだろ、電話してても……。てか「いい」じゃない。電話していいかを決めるのはわたし以外のだれでもない。
それは大した問題じゃなくて、問題は母親が「汚い言葉」と呼んだ会話がなんのかということだ。いやべつにしねとか言ってるわけではないんだけど……。わたしはニッポンで生きているオタクだから、会話の内容なんて政治とキャラクターの話しかない。ニッポンで生きてるんだから自民党の悪口しか言うことないだろ。わたしが最悪! ゴミカス! て言ってるのは百パー自民党と家父長制と虐殺と植民地主義と異性愛規範と、その他、そういうものだ。そういうものしかない。ショクバの人の愚痴とかゲーノージンの噂話とか、言ってる暇はない。そういう話しかできない人とは家に帰ってまで電話しない。イエのことをそうやって言えるくらいには同居血縁メンバーとフツーにやってると思うんだけどな。家族ラインに返信するし、飯いらない日は言うし、どこでなにして何時に帰るか報告するし……しすぎじゃない?
ともかく自民党の悪口を「汚い言葉」と言われると、それはトーンポリシングだな……と思うほかない。「嫌がるだろうと思っていままで言わなかった」って、じゃあなんでいま言ったんだよ。明日面接なのにな。なんか父親も食卓を大事にしろ的なことを言っていた気がする。できるかい。この状態で。明日の夜はなにを食べようか。今日の昼がカニクリームスパゲティで夜サイゼに行ったからトマトしょっぱい系以外で。あっさりしたものを食べたい。手頃な和食がいい。
あと面接のための交通費は当然自腹だと言ったら二人して驚いていて、奨学金とは無縁で都内の大学生をやってた人たちはちげえわ^_^ とウケてしまった。シューカツどうなってるの? と言ってくると思ったらこれかい。なんなんだ。
あー、無理かも! と思ってしまった。不仲じゃないし住めてるし飯食ってるし寝床あるし親は投票行くし、会話はあるし、云々、とさんざっぱら行ってきたけれど、なんかもう無理かも! このイエが! まあシューカツをどうにかしてめちゃくちゃ正規の(とされている)手段でイエを出るのが一番早いんだろうけど。べつにそれまでが「忍耐」みたいな感じでもない。ってことはやっぱり大したことないのでは?
これを書きながら、元カノA(厳密に言うと違うけどほぼそう)がわたしのために作ってくれたプレイリストを聴いている。朝から。どう見ても立派な自傷だ。最後に残るのが物理的なモノではなくApple Musicのライブラリに保存されたプレイリストである、二〇二四年。日食なつこ入れすぎじゃない? カラオケで歌ったせいでAとはべつの元カノBが「最近聴いてるよ」と教えてくれた日のことまで思い出してしまう。なんで接続させちゃったんだ。恋愛ヘタクソすぎる。でもあのときの、まだ付き合ってなかったころのカラオケでは、「これ元カノが教えてくれた曲」と言って、笑って慰めてほしかったのだ。じっさい彼女はそうしてくれた。本当に日食なつこ入れすぎだし《ハッカシロップ》とか《エバーシルバー》とか、どういうつもりで入れたんだ。好きだっただろ。わたしのこと。さすがに。わたしたちってもしかして依存し合ってたんですか? という曲と、わたしを眩しがりながら突き放す曲が交互に入っている、恐ろしいプレイリストだ。その中で燦然と輝く嵐の《愛を叫べ》で、急に現実に引き戻される。突き放しかたがエグすぎるだろ。てか、結局Bにも同じような理由で振られたような気がする。わたしといても幸せにしてあげられない、的な。違うけど。違うんだけど。三浦大知の《ふれあうだけで》でさすがに笑った。そんなに? そんなに好きだったんだ。好きだったよね。わたしはいまも好きだよ。ずっと好きだよ。でもわたしじゃあんたを幸せにしてあげられなかったんだよね。そういう意味だよね。