子どもの学校の保護者会の日。あっという間に(といいながら一日一時間一分が長い、という日の積み重ねではあるのだけどそれでもすぎて見ると何もかもあっという間と感じる。エンデのモモを読み返すか)二年生がおわりもう三年生も目前。昔から、時が過ぎる事に抵抗感があり懐古主義のきらいがある。子どもの事に関してもそうで、これ以上大きくならないでほしい、と改めて思う。「小さいからね」で許容されるサイズでいてほしいという気持ち。大きくなりきったところでの本人主導の希望のようなものをまだイメージできないという事もある。お互いに機嫌がいいときはおもしろい生き物の子ども、まだしばらく「おもしろいねえ、かわいいねえ」とニコニコ眺めていたいなあ。
保護者会で上映した学校の周年記念行事をまとめた映像を眺めながら、なんだか全体主義の発芽のような、集団からはずれない事がよしとされる場所への抵抗感がむくむくと湧き上がる。そもそも子どもメインの行事なのに校長と区長の2ショットが2枚もはさみこまれてるのはなんなの?行事の度に子供も親も主賓側を向いているのはなんで?子供が舞台にのってこちらと向き合えば一番いいのでは?周年記念で多様な業界から講師を招いて特別授業をしたのに音付きでクローズアップされるのがお笑い芸人だけってどういう事?
ああ、学校という場所との折り合いが非常にわるい自分の性質が浮き彫りになっていく・・・・
色々と疲れた体を休めるべくお迎えまでの間カフェに寄ると今度は謎マウントママ知人からのラインに辟易とし、自分の人間性の小ささも浮き彫りにされた金曜だった。